続く挑戦~国際赤十字・赤新月社連盟、創設100周年~

各国赤十字・赤新月社の国際的な連合体である国際赤十字・赤新月社連盟が5月5日に創設100周年を迎えます。

国際赤十字・赤新月社連盟の始まり

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5カ国の赤十字社の代表が集まった際に会場となったフランスのホテル ©国際赤十字・赤新月社連盟

第一次世界大戦が終結した翌年の1919年、フランスに、日本、イギリス、アメリカ、イタリア、フランスの赤十字社の代表者が集まり、「国際赤十字・赤新月社連盟」(当時の名称は「赤十字社連盟」以下、連盟という)が創設されました。当時、戦時救護を目的としてつくられた赤十字にとって、平時の赤十字活動は当たり前のものではありませんでした。健康増進や疾病予防、災害への備え等の活動のための国際的組織の創設は画期的なものだったのです。

赤十字の創始者アンリー・デュナンが唱えた「傷ついた人々を敵味方の区別なく救うこと」という理念を平時の活動にまで広げ、5カ国で始まった各国赤十字社のネットワークは、現在、世界191の国と地域に広がっています。連盟は、世界191の各社のまとめ役という重要な役目を担います。

創設に大きく貢献した日本人

当時、赤十字の平時の活動の重要性を説き、そのために「連盟」という組織の設立を提唱したのが、日本赤十字社の外事顧問であった蜷川 新(にながわ あらた)でした。蜷川氏は、「戦争のない平時においても、各国赤十字は、人道活動を実施すべき」、「赤十字の平時事業を、法的な基礎におくべき」と考えていました。

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写真中央が蜷川氏 ©日本赤十字社

こうした蜷川氏の発想のもとには、彼自身が日露戦争に従軍したこと、名古屋でロシア兵捕収容所に勤務したこと、そして、日本赤十字社の外事顧問として、欧米慰問団の一員として戦下の欧州を視察したことなどの実体験がありました。そこから、第一次世界大戦時に実際に見聞きした、当時のジュネーブ条約の規定にはない各国赤十字社の活動、例えば、戦傷病者ではない市民や避難民の救援に触発され、「赤十字は、戦時の準備をするために平時事業をするのではなく、平時においても常に人道のために活動するべきである」と主張したのです。

また、「法的基礎を欠くものは確実性を欠く」と考えた蜷川氏は、「人道の権利と義務」を国際条約に加えようと奔走します。その結果、国際連合(UN)の前身である国際連盟規約第25条には、各加盟国が、平時の赤十字組織を国内に設置し、その活動を促進することが定められました。そして、これと同一条文の規約を持つ「赤十字連盟」の設立が、実現するに至ったのです。

世界に先駆けて実施した日本赤十字社の災害救護

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磐梯山噴火災害での救護活動 ©日本赤十字社

連盟の設立は1919年ですが、これをさらに遡る1888年7月に福島県で発生し、約500人の死者を出すなど大きな被害をもたらした磐梯山噴火災害が、日本赤十字社の災害救護活動の始まりとなりました。現地に入った救護員は計15人、地元の医療関係者と協力してのべ105人の患者に手当を施しました。医療品を入手しにくい環境の中、消毒を厳重に行い、副木を改良するなど、救護に従事した様子が記録されています。 

この活動を契機に、1892年に日本赤十字社は平時の災害救護を正式に事業の一つとしました。これは、国際赤十字が前述のように平時の事業に取り組む約30年前のことであり、世界に先駆けて行った平時救護活動だと言われています。以降、日本赤十字社は多くの災害時に救護活動を展開してきました。

これからも続く国際赤十字・赤新月運動

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赤十字の国際ネットワーク

災害や紛争の背景には、社会情勢、経済事情、歴史、政治、環境問題などの要因が絡み合い、その様相や被害状況は被災地域によって様々です。そのため、ニーズは多種多様であり、またそのニーズ自体も刻一刻と変化していきます。

そうした被災地のニーズに的確に応えるため、各国赤十字・赤新月社と連盟、紛争犠牲者への支援を行う赤十字国際委員会の3つの機関は、相互に協力、調整し合いながら活動しており、3つの機関の連携はMovement(運動体)と呼ばれます。それにより、事業の重複や混乱を避け、被災者が本当に必要とする支援を届けるという目的を達成するため、常に変化しながら活動を続けているのです。

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