いのちを、ありがとう 日本赤十字社は国が指定した「日本骨髄バンク」支援機関として、骨髄バンクのドナーの登録手続きや、登録者のデータ管理、HLA型検査など、患者さんとドナーをつなぐ活動への協力を行っています。今回は、100万人に1人といわれる難病から救われた、ある幼い命の物語を紹介します。

0歳で100万人に1人の難病に… 救えるのは「造血幹細胞移植」のみ

無事に退院し、元気よく遊ぶ梨花ちゃん(撮影:2020年、夏)。好奇心旺盛で家族をたくさん笑わせてくれますが、まだ免疫の不安があるため、同じ年頃の子とは遊んだことがありません

血液の病気で苦しむ患者さんを救う治療法として効果を発揮するのが、骨髄・末梢血幹細胞移植・さい帯血移植の「造血幹細胞移植※」です。この治療法は正常な造血が行われなくなった患者さんの造血幹細胞を健康な人(ドナー)の造血幹細胞と入れ替えるものです。日本では毎年2000人以上の患者さんが骨髄バンクを介しての移植を必要としています。

2017年生まれの宮島梨花(りんか)ちゃんもその1人でした。わずか0歳で「若年性骨髄単球性白血病」という100万人に1人といわれる難病と診断された梨花ちゃん。お母さまの知子さんが梨花ちゃんの異変に気が付いたのは、生後3カ月の頃。抱っこひもをしたときだけ足の裏に紫斑(しはん)ができたことでした。それでも身長・体重の増加は正常の範囲内だったため、「そのときはまだ重大な病気だとは思っていなかったのです」と振り返ります。
「乳児湿疹で皮膚科を受診した際に足裏の紫斑の相談もしました。そこで小児科へ行くことになり、採血すると、さらに大学病院での受診をすすめられ、白血病の疑いがあるとわかったのです」(知子さん。以下、同)
 判明した病名は「若年性骨髄単球性白血病」。研究中の難病で、主治医からは治療方法は造血幹細胞移植しかないだろうと診断されたそうです。知子さんは、梨花ちゃんを抱きかかえ、駆けつけた家族と全員で泣き崩れました。
「何より不安だったのは、適合するドナーが見つかるだろうか?ということでした。この子に兄弟姉妹はなく、両親でも適合しなかったので」

※ 造血幹細胞移植 ◎移植には3種類あり、骨髄移植・末梢血幹細胞移植のほか、さい帯血移植があります。移植用のさい帯血を管理する公的さい帯バンクは全国に6カ所、そのうち4カ所の公的さい帯バンクを日本赤十字社が運営しています。

たった1人見つかったドナーに、幼い命の希望を託して

造血幹細胞移植を安全に行うためには、原則として患者さんとドナーのHLA型(ヒト白血球抗原)が一致している必要があります。非血縁者間で一致するのは数百から数万分の一という途方もなく低い確率です。一致するドナーが見つからなかった場合、代替可能な候補となるのが「HLA1座不一致」のドナーです。
 骨髄バンクに患者登録をした梨花ちゃんと移植のコーディネートができた「HLA1座不一致」のドナーは、たった1人でした。知子さんは現実の厳しさを噛み締めます。

「それでも顔も知らない娘のために貴重な時間を割いて骨髄を提供してくださるドナーさんがいらっしゃったことには、感謝してもしきれませんでした」

知子さんは育児休業終了後、介護休暇を取得。24時間病院で付き添いました。ご主人も社内で異動を願い出て、夫婦ともに幼い命を守っていく環境を整えました。

小さな体に命のエネルギーを吹き込んでくれた、ドナーの幹細胞

初めて入院したとき(生後5カ月)

移植の約1~2週間前には、患者本人の造血幹細胞を壊すために抗がん剤投与や放射線治療といった「前処置」を行います。梨花ちゃんの軟らかい髪の毛は、触っただけでバッサリと抜け落ちるようになり、さらに移植の翌日には血小板アレルギーによって、全身の発疹や咳、嘔吐を引き起こすようになりました。1畳ほどのベッドの上で、24時間点滴につながれた梨花ちゃんは、1歳になったばかりで言葉も話せません。こんな日々がいつまで続くのだろうと、知子さんは悲しみに暮れたと言います。
 ところが移植からしばらくたって、梨花ちゃんの生命力はみるみるうちに輝き出しました。血小板アレルギーが落ち着いてからは、ベッドの上で起き上がって遊んだり、病室が個室でなくなってからは歩行練習でもしっかりと歩みを進めるまでになりました。

ドナーからの手紙は家族の宝物

梨花ちゃんが移植の前処置をスタートしたのは、1歳の誕生日当日。そして2歳の誕生日は家族に囲まれてお祝いすることができました。

「誕生日を迎えるたびに、今年も1年元気に過ごせていることに感謝しています。移植日は第2の誕生日として、お祝いする日が1つ増えました」

 患者さんとドナーは移植後1年以内に2回だけ手紙を送り合うことができます。知子さんたちも退院してすぐに、報告とお礼の手紙を送りました。ドナーからの返事の手紙は、宮島さん一家の大切な宝物です。「娘が大きくなったら、ドナーさんからのお手紙を渡そうと思います。『生きていてくれてありがとう』という気持ちとともに、あなたの命はたくさんの方々によって助けられたかけがえのないものなんだよ、ということをしっかりと伝えていきたいですね」

(この特集は「日本骨髄バンクNEWSvol.56」に掲載の体験記を赤十字NEWS用に短く編集しました。)

最後に、赤十字NEWSの読者のみなさんへ、梨花ちゃんのお母さんからのメッセージ

たくさんの点滴につながれたまま、おもちゃで遊ぶ梨花ちゃん

「娘は骨髄バンクを介した移植で救われました。しかし、闘病中の娘を1日、1日、救ってくれたのは輸血です。娘は輸血を生後5ヶ月のときから何度もしてきました。造血幹細胞移植後、(それ以前もしていますが)輸血が必要なくなるまで1ヶ月半かかり37回も輸血をしました。その中でも入れても入れても壊れていく血小板は22日連続で輸血をし、時には赤血球を輸血し助けられました。12月に移植だったので年末年始を跨いでの献血が不足する時期です。ある日いつもの時間に輸血が来なくて看護師さんに忘れられているのかなと思ったこともあり聞いてみると『まだ血小板が届いていない』と言うこともありました。
治療の際に輸血は命をつなぐ大切な役割をしてくれています。娘は献血してくれた数多くのボランティアの方々に助けられました。私たち家族は言葉にならないほど感謝しています。多くの人に大人ばかりではなく献血により幼い命も救えることを知っていただきたいです」

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シンガーソングライター岡村孝子さんもメッセージを寄せた、骨髄バンク応援メッセージ動画「ツナガル、イノチ。」はこちらをご覧ください。