献血は「命を救う」ボランティア 都内の学校内献血が次々と中止になる中、大学の体育会を巻き込んで“集団 献血”を成功させた、二十歳の挑戦!

4月中旬、東京都内に3回目の緊急事態宣言が発令される直前に上智大学で学内献血が実施され、2日間で108人の学生・大学職員が協力しました。これを発案し、実現のために奔走したのは上智大学3年生の長南航太さん。所属するサッカー部だけでなく、大学の体育会全体のボランティア活動として集団献血を成功させた、長南さんとその仲間、サポートした人々に、献血実現までの活動や思いを振り返っていただきました。

上智大学3年生 サッカー部 長南航太さん

4月、上智大で献血する長南航太(ちょうなん こうた)さん

「昨年の春、サッカー部の中で、ボランティアを企画する係になりました。しかし、新学期が始まった途端の緊急事態宣言。当時は未知のウイルスとして恐れられ、感染を防ぐために授業も部活もすべてオンラインという状況。

 そんな中、夏になってコロナ禍で献血が激減しているというニュースがTwitterで回ってきました。これだ、と閃(ひらめ)き、仲間に集団献血を提案しました。

 僕が最初に献血をしたのは高校1年生の時です。お菓子やジュースがもらえて授業が休めるから、という不純な動機で(笑)。でも、献血が終わった後に手にしたパンフレットの言葉にハッとさせられたのです。“あなたの献血で、一人の命が救われます”。こんなに明快なボランティア活動が他にあるでしょうか。自分の血液で、誰かを救える…この実感を、サッカー部の仲間にも味わってほしい。そして、運動部の自分たちが率先して献血することは同じ大学の生徒たちにインパクトを与えるはずだから、なんとか学校内で集団献血を実現したい、と考えました。そこで日赤の献血の窓口に相談したのですが…今は大学構内での実施は難しい状況だからと、希望はかないませんでした。

 諦めきれずにいたところ、今度は日赤から連絡をいただき、池袋の駅前でバス献血に協力することに。当日参加できたのは10人。献血未経験者もいました。仲間と献血してみて強く感じたのは、やっぱり大学で献血したい、ということ。

 そのことを周りに話すうちに、サッカー部を超えて体育団体連合会(以下、体育会)全体で取り組もうという話になって。大学の学生センターにもサポートをしてもらい、日赤とも相談し、大学に企画書を提出。もともと体育会自体が独自に体調管理・報告の仕組みを持っていることから、その活用による感染予防の有効性と大学でtaiki_B.jpg集団献血を行う意義が認められ、学内献血が実現しました。

 この献血会では108人の協力がありましたが、これは体育会の学生だけ。ここから大学全体、そして広く社会に、人を救えるボランティア<献血>を広めていくのが目標です。


 僕が人を救う活動に使命感を抱くのは、東日本大震災で経験したことも関係があるかもしれません。

 宮城県の海沿いの街で生まれ育った僕は、3.11の地震・津波発生後、母や兄と一緒に仙台市立中野小学校に避難しました。2 階建ての小さな校舎で、約600人の避難住民が屋上に逃げましたが、近くの工場で大規模火災が発生し、屋上にいると炎に焼かれそうな状況に。真夜中の屋上で、津波と炎に取り囲まれた、この世のものとは思えない光景を目の当たりにしました。人々は炎から逃れるために水が引きつつある2 階に下りましたが、いつまた水位が上がってくるか分かりません。恐怖とパニックで泣き叫ぶ声が響く中、一晩中、声を張り上げて皆を励まし続けた男性がいたのです『大丈夫だ、ぜったいに助かる!』その力強い、生きることを諦めない声に、どれだけ救われたことか。僕はまだ10歳でしたが、救い合って生きることの素晴らしさをそこで経験したと思います。

 こんな被災経験は誰もがすることではありませんが、人を救いたいという気持ちは、人の心に自然と湧いてくる感情じゃないでしょうか。だから、もっと多くの人に、献血で人を救える素晴らしさを知ってもらえるように、活動を続けたいと思っています」

上智大学3年生 サッカー部 松井健豪さん

大学内で呼び掛けを行う松井健豪(まつい けんご)さん(左)と、長南さん

「サッカー部のボランティア活動として長南が献血を提案した時、僕はなんの疑問も抱かずに賛同しました。僕自身は献血をしたことはありませんでしたが、父がよく献血をし『今日、献血してきた』という会話を家族で交わしていたので。

 しかし、仲間に協力を呼び掛けてみて驚きました。献血が怖い、と渋る人の多いこと! そこで気づいたんです。献血を身近に感じていると献血に抵抗はない。知らないから抵抗があるんだ、と。つまり、『友達がたくさん献血をしている、当たり前のように献血がそばにある』この認識が同じ世代で広がっていけばいい。今はそれが1つの目標です。

 こういう活動していると、週6日で部活があるのに献血を含めてボランティアするのは大変なんじゃない?と聞かれますが、大変さよりも、『その活動をやりたい』があるから、やるんです。長南も部活と勉強の合間に打ち合わせをしたり企画書を作ったり、学内での献血実施に向けて忙しそうでしたが、『大変そう』ではなかった。大学で献血できる、みんなに献血を知ってもらえる、そのことを彼は楽しんでいたし、僕たちも同じ気持ちでした」

上智大学 学生局 学生センター 高村健一郎 さん

自分の献血前に、職員に説明を受ける高村健一郎(たかむら けんいちろう)さん(左)

「本学の運動系クラブで構成される体育団体連合会(以下、体育会)から『春学期に課外活動として学内献血を実施したい』という相談を、昨年の冬に受けました。

 それに対して当初は、対面授業が再開して間もない時期であるため、4月は授業の実施を優先したいこと、日赤側の負担を軽減するために学外の献血会場で協力することの2点を提案しました。しかし、学生側は『学内で実施し、同年代の在校生全体に献血をアピールすることに意義がある』とあきらめません。個人的な思いですが、大学時代に新聞奨学生だった私は、朝晩の新聞配達や営業の仕事があったため、部活やサークルなどの課外活動に参加することができませんでした。それゆえに、大学職員として学生の課外活動を精いっぱい応援したいと日々考えており、彼らの熱意を尊重し、協力することにしました。

 コロナ禍であらゆる課外活動が制限される中、学内献血の実施に必要な条件を大学側に確認した上で、どうしたら『不可能を可能にできるか』を念頭に置き、学生たちと検討を重ねました。大学との調整の末、課外活動を担当する学生センターが実施および運営に責任を持つ形で、授業のない土日を通じて体育会の学生のみで実施することで決着。当日の会場の感染対策は日赤を信頼してお任せしましたが、前日までの感染リスクを減らす取り組みは体育会の体調管理・報告等の仕組みを使って徹底的に行いました。実施の結果は、当日のキャンセルもほとんどなく、大学の内外から想像以上の反響もあり、大学や学生にとって今後の財産になる貴重な活動ができたと思います」

東京都赤十字血液センター 山本貴子さん

「長南さんからインターネット経由で大学での集団献血の希望が告げられたのは、昨年の8月。その時は希望をかなえられませんでしたが、その後も学校・企業で例年行われていた団体献血の中止が相次ぎ、秋も深まる頃にいよいよ困り果て、彼らを思い出して声を掛けたところ、長南さんを含め上智大学サッカー部の方が10人も街頭献血に協力しに来てくださいました。しかも『もう少しお手伝いしたい』と言って、献血後には呼び込みのボランティアも。

 今年の1月中旬、長南さんから大学で献血できるようになったと連絡を受けた時は本当に驚きました。私たちは、コロナ禍で大学が学生の登校も抑制している状況での献血実施は難しいと考えて、街頭やルームでの献血を何度も提案していたのです。数々の困難な条件をクリアして学生主導で実現するのはレアケースである上、3密回避の予約管理を学生たちが行って成功した事例なので、コロナ禍の大学生献血のモデルケースになると思います。今後も、さらに多くの学生に参加していただける環境づくりを学生ボランティアの皆さんと一緒に作り上げていきたいです」

●コロナ禍で団体献血が激減 

 昨年の2月以降、新型コロナの蔓延(まんえん)による緊急事態宣言の発令などを受け、団体献血の中止や延期が全国で相次ぎました。また、現在もテレワークや休校などの影響もあり、以前と比較して協力が得にくい状況が続いています。特に、高校、大学などでの献血は大幅に減少しており、コロナ禍前の令和元年4月には関東の1都9県で約200台もの献血バスを配車していましたが、昨年はわずかに9台。最近は徐々に回復傾向にありますが、学校で献血を実施するハードルは以前よりもかなり高くなっています。そのため、令和2年度の10代の献血者数は目標に対して2万5千人も少ない結果となっています。
 献血は『不要不急』に当たりません。病気やケガで、血液を必要とする方々のために供給を止めることはできません。日赤はコロナ禍の前から安心安全な献血を追求してきました。そして、これからも感染予防対策を徹底してまいります。ぜひ、皆様のご協力をお願いいたします。