もっと続けたかった!「最後の献血」に託す思い 7月は「愛の血液助け合い運動」月間です
献血は、輸血を必要としている方の命を救うために、健康な人が自らの血液を無償で提供するボランティア活動です。献血できる方には年齢制限などの条件があり、全血献血では男女ともに69歳※までと決められています。長年にわたって献血を続け、最後の1年間に思いを込めて献血する方、70歳の誕生日を目前に最後の献血をする方、それぞれの心境を伺いました。
(※65歳以上の方の献血については、献血いただく方の健康を考慮し60~64歳の間に献血経験がある方に限ります。)
断られた初献血で、健康の大切さに気付く
【長崎】
献血ルーム はまのまち
藤 大士(ふじ ひろふみ)さん
1953年1月17日生まれ
献血を始めてかれこれ50年。今は成分献血をメインに月に一度のペースで通っています。献血に行く日を決めたら、前日は禁酒し、体調管理を続けています。今年は年始に行ってから、70歳の誕生日まであと何回献血できるかなと逆算し、献血できる最後の1年なので、精いっぱいしていくつもりです。献血は私の生活の一部になっていますね。家族も私が献血でもらうティッシュをアテにしていて、家のティッシュが少なくなると、「次はいつ、献血に行くの?」と(笑)。献血ルームに通い続けて顔見知りになった職員さんもたくさんいるので、献血バスを見かけると、今日のスタッフは誰かなとつい確認してしまいます。
私の父は手術で輸血を受けた経験があり、献血ができなかったのですが、町役場の職員で献血を推進する担当でした。なので父の代わりに母が、町に献血バスが来るたび協力していました。そんな姿を見て育ってきて、自分も献血するのが当たり前だと思っていました。人生最初の献血は、高校卒業後に就職した会社に来ていたバスでの献血です。入社して2カ月後に献血へ行ったところ、血液の比重が足りず献血不可に。学生時代に運動部で鍛えて体力に自信があった私はショックでした。親元を離れて慣れない環境で必死に働き、不規則な生活で、偏った食生活を送っていたので、お医者さんからはそういった環境などが要因ではないかと言われて。食事や生活を見直して挑んだ2回目。無事献血することができて、心底ほっとしました。そのときに献血できる健康な体、健康的な生活の大切さを思い知ったのです。
健康のためにも、もっと献血を続けたい
60歳までは設計の仕事をして、その後は福祉関係の仕事に就き、今年の3月まで働いていました。一人でベッドをひょいと運ぶなど、体力的にまだまだ働ける自信はあったのですが、親が亡くなって空き家になった実家の管理とか、職場の若い人たちのことも考えて退職。ストレスのない日々を送っていますが、余力があるので自宅の六畳2部屋のフローリングを一人で張り替えるなどDIYに精を出しています。毎日筋トレ、ウオーキングで10キロ歩いて、体調はこの20年で最高に良い状態。だから、献血ができなくなってしまうということが本当に信じられない。健康管理にもなっていた大切な生活習慣でしたし、楽しみの一つでもあったので、年齢で区切らず、献血を続けさせてもらえないかなぁと切に思います。
だいぶ前のことですが、転居手続きで役所を訪れた時、役所の窓口で困っている高齢の女性がいました。その当時、輸血を受けた人の家族などが献血して血を返す制度があって、その女性は夫が輸血を受けたが家族に献血できる人間がいない、と嘆いていました。私は献血後にもらう献血カードをたくさん持っていたので、その女性に全部差し上げ、とても感謝されました。誰でも献血ができるわけではないんだ、献血できてその人の助けになれてよかったと感じたんです。自分が献血できなくなる分、健康な若い人たちには積極的に協力してほしいですね。口癖でいつも周りに言っているんです、世のため人のためになる、簡単にできるボランティアだよ、と。気軽な気持ちでチャレンジしてほしいです。私も、ただ献血できる体だからさせてもらっているだけ、それでティッシュももらえてジュースも飲めて、ありがたいじゃないですか。そんな感じで、気軽に、自己満足でするのもいいんじゃないですかね。
健康維持に献血を有効活用
【福岡】
献血ルーム 天神西通り
正月光郎(むつきみつお)さん
1952年8月27日生まれ
私が最初に献血したのは、20歳くらいの頃、私の伯父が病気になり、手術のための輸血が必要だということで病院へ行って血を提供しました。
昔は家族や親族に血液が必要になった場合に献血しましたよね。それ以降は、その頃できたばかりの献血ルームも利用しましたが、佐賀の大きな発電所でメーカーの職員として長年勤務し、そこへ定期的に来る献血バスで献血をしていました。
50年近く続けてこられたのは、誰かのためになるボランティアであると同時に、自分の健康のためにもなるから。献血すると、いろいろデータが送られてきます。それを見て、そのときの体の状態はどうだったかと確認して健康管理に役立ててきました。
私は献血のために特別なことはしないで、普段通りの生活をして献血を続けてきました。献血できる期間にはインターバルがあり、私は400mL全血献血をしているので、3カ月置き。帰るときに「次はいつから献血できます」と言われるので、スケジュール帳に書き込んで、それが一つの目標になっていました。全血献血は、短時間で終わるのでいいですよ。長時間じっとしているのが、私は性格的にむかないので(笑)。
健康のために日頃から運動していて、還暦の60歳からマラソンも始めました。福岡マラソンを3回、宮崎と佐賀のマラソンでも走って、この9年でフルマラソンを11回完走。山登りも月に1回ぐらい行っています。なにもしないと太る体質なので、体重管理のためにも運動しています。あわせて献血は、自分の体の状態を定期的に確認できて健康のバロメーターになる。健康を意識して維持していると、血管も体全体も若々しい状態でいられる気がしますね。
最近知り合いと献血の会話になって、73歳の方がかれこれ60回以上献血したとおっしゃるので、話が弾みました。その方もとてもお元気なんですよ。献血をよくされていた人は元気だなって、改めて思いました。やっぱり自分自身が健康じゃないと、人に血をあげるということはできないでしょう? 私はおかげさまで病気で入院したことは一度もなく、薬も飲んでいません。
若い世代にもっと献血をしてほしい
ゴミを拾うなどのボランティア活動は目に見えるから達成感がありますが、献血って目に見えない、誰のために役立つかもわかりづらいボランティアですよね。でも、献血ルームで受血者からのメッセージなど役に立っているという情報を見ると、モチベーションにつながります。
年3回の上限で全血献血を続けてきて、今のシステムでの記録は45回。この夏、70歳になるので、今日が最後の献血です。まだ続けられるし、もっと続けたいのに、残念で…。きっと同じように感じて献血を卒業する人はたくさんいると思います。
献血は人助けにつながる身近なボランティア。私たちの世代は献血する方が多いのですが、若い世代がもっと協力できるようになればいいですね。
支え合える、それが献血の良さです
【福岡】
献血ルーム くろさきクローバー
佐藤利明(さとうとしあき)さん
1952年7月30日生まれ
初めて献血をしたのは、20代後半だったでしょうか。
結婚して家庭を持って、あるときふと、社会のお役に立ちたいと思ったんですよね。
それまでは献血したいと思ったことが無く。学生時代、通っていた大学に献血バスが来ていても横目で見ていただけで、知識不足から「血液を提供したら元気がなくなるのではないか」と思い込んでいて。
もちろん、献血したからといって健康に影響は無かったですし、年を重ねていろいろ見聞きするうちに、世の中には血液を必要としている人がたくさんいることや、献血は誰かを救うことにつながっていると認識するようになりました。
定期的に献血ルームに通うようになったのは誰かの役に立てると実感することができたから。献血したことがない人は、ぜひ献血ルームに行ってみてください。献血ルームでは、多くのスタッフ、看護師、医師の方々が、協力者の貴重な献血を生かそうと働いている。外からは分かりませんが、皆が誰かを救うために活動しているのです。ここに来ると、毎回それを感じることができます。
日常の習慣になっていて、ほっと落ち着ける場だった献血ルームに来られなくなってしまうことは、やはり寂しいです。血液の質・成分の関係ではなく、献血者の体力を心配して一律の年齢制限を設けていると聞きましたが、私なら体力的にまだまだ続けられるのに、献血できないのはもったいないなぁ、と。
献血のボランティアはできなくなりますが、命ある限り、人のお役に立ちたいと思っています。実は、長くサラリーマンをしていましたが、定年退職して僧侶になるための大学に入り直しました。家族は、私が大学受験したいと言ったらどうせ受からないだろうと真剣に受け止めていませんでしたが、合格したので(笑)。福岡で暮らす家族と離れて4年間京都で下宿生活をし、僧侶の資格を取りました。
ご相談者の悩みや胸に抱えている思いを聞くことも僧侶の仕事です。悩みは、誰かに話すことで気持ちが楽になります。ひとりで抱え込んでいると、パンクしてしまう。献血も目には見えないつながりで誰かを支えますから、僧侶の仕事と似ています。人は支え合って生きているのです。支え合える、という「献血の良さ」を、若い方々も理解してくれるといいなと、心から思います。
献血ルーム スタッフの声
「藤さまは、時間のかかる分割血小板献血や、年始の献血にも毎年協力してくださいました。必ず予約して来所され、常に笑顔で、献血ルームの業務やスタッフのことを考えてくださっているなと、いつも感じていました。私たちは20年以上の年月を共に過ごさせていただき、定期的にお会いし、お話しをしたりすることが当たり前と思ってまいりましたが、『最後の1年』と改めて考えたら、とても残念で、さびしいです。健康管理や献血のための日々の努力があればこそ、最後まで成し遂げることができたのではないでしょうか。献血者としてだけでなく、人生の先輩として、頭が下がる思いでいっぱいです」