米国統治下の「沖縄赤十字社」 沖縄復帰から50年
1945年、日赤沖縄支部は米軍の沖縄上陸により全ての業務を停止。沖縄における赤十字社は消滅しました。しかし、沖縄の人々の相互扶助の精神や、米国赤十字社の支援もあり、徐々に赤十字活動を再開させていきます。
沖縄の赤十字、その激動の歴史をひもときます。
現在の日赤沖縄県支部の前身となる日本赤十字社沖縄委員部が発足したのは1889年のこと。その土地柄、あまたの台風に見舞われる中で沖縄県民には相互扶助の精神が培われており、赤十字の理念はごく自然に沖縄の人々の中に浸透していきました。
太平洋戦争末期、沖縄では激しい地上戦の結果、9万4000人に上る一般市民が犠牲に。米国統治の下、本土と切り離された沖縄で日赤支部を名乗れなかった組織は、終戦3年後に貧困者・災害罹災者の救援事業を行う「沖縄臨時厚生協会」として再出発。この民間団体は沖縄の人々を支援したい米国赤十字社と、危機的状況が続く医療や社会事業を回復させたい沖縄の人々、双方の願いの結晶でした。
同協会は募金運動や慈善病院の設立に奔走、住民のために活動を続け、後に赤十字事業の趣旨を徹底するため沖縄内に限り(*)「沖縄赤十字社」と名乗ることとなりました。
(*=赤十字の「一国一社」の原則から、米国統治下の沖縄で、当初は赤十字社を名乗ることが許されませんでした。しかし「厚生協会」という名称で活動する中で、赤十字事業に支障をきたすようになったことから、対外的には「沖縄臨時厚生協会〈後に琉球臨時厚生協会〉」としながら沖縄内では赤十字を名乗ることとなりました。)
1967年、沖縄赤十字社の視察に訪れた若かりし頃の近衞忠煇名誉社長の報告書には、米国は沖縄の福祉に本土(日本政府)が干渉することを喜ばないが、日赤の協力は歓迎されたとの記述があり、「沖縄における赤十字の社会的な評価が極めて高く、住民の赤十字に対する期待が大きいことを感じた」と振り返っています。
1972年5月15日、沖縄は本土に復帰。沖縄赤十字社として活動してきた組織は日赤沖縄県支部として27年ぶりに復活を果たします。困難の中においても赤十字の精神を掲げ、たゆまぬ努力で復興の道を切り開いてきた沖縄の赤十字。寄せられた善意は、後世へと受け継がれ、今日の発展へとつながっています。
当時を知る元職員に聞く
「沖縄赤十字社」の活動
大田捷夫(おおた かつお)さん
「東京オリンピックの前年、私は沖縄から東京の大学に進学しました。高校時代に競泳をしていたので、日赤東京都支部の水上安全法の講習会に参加して、水上安全法と救急法の指導員資格を在学中に取得。大学卒業後は沖縄赤十字社に入社しました。
米国統治下で沖縄赤十字社ができた当初、水上安全法などの講習は赤十字の重点事業であるとして米国赤十字社の指導者と日赤本社の安全課長が沖縄に派遣されてきました。その方々は講習指導員を養成して沖縄を離れましたが、その後に沖縄で養成された指導員は、日赤の認可する正式な資格ではないとされ、日赤への復帰後、東京で指導員資格を取った私以外に正式な指導員がゼロ、という時期もありました。
1972年5月15日、本土復帰と同じ日に沖縄赤十字社から組織が移行し、私は日赤沖縄県支部の職員に。祖国復帰は沖縄県民が長きにわたり熱望していたことで、沖縄赤十字社の職員の間では、復帰すれば我々も日本赤十字社の一員に戻れる、と、その日を心待ちにしていました。復帰前も、復帰後も、赤十字の活動は全て「人を救う」ためのものです。組織が変わっても、水上安全法や救急法の講習事業は継続され、私も多くの講習で指導員を務めてきました。海やプールでの水上安全法の指導回数が普通の指導員よりも多いこともあって、これまで8回の事故に遭遇し、救命活動を実施。いざというときの救急法の重要さは身をもって実感しています。
沖縄赤十字社時代、米軍は赤十字を大切にしてくれ、米軍と協力した事例はいくつもあります。
これは先輩職員から聞いた話ですが、復帰前の1963年、沖縄海難史上最大の事故と言われる定期貸客船「みどり丸」沈没(P.3の年表参照)の際に、米軍が海岸の近くで照明弾を打ち上げて空を照らし遭難者を捜索、赤十字も救出救護のための共同作業を一晩中行い、沖縄赤十字病院で受け入れて治療をする、という連携がありました。
沖縄赤十字社開設当時には、米国赤十字社から新車の事業車を1台寄贈されたことがあります。当時の沖縄には米軍の払い下げの中古車しかなく、一般の人は自家用車を持てなかったので、新車でかつ民間車第1号として大きな話題になり、離島や無医村の巡回診療にも活躍しました。
祖国復帰から50年。自然災害や紛争、それに新型コロナウイルス感染症の問題など、国内外で赤十字が必要とされる出来事が拡大していると感じています。相互扶助の精神を大切にする沖縄県民として、そして人を救うことを使命とする赤十字の一員として、赤十字の事業がますます充実していくことを願っています」
●救急法の指導を行う大田さん(写真右)