赤十字はじめて物語【vol.10 社員制度】 日本赤十字社の事業 その出発点にはそれぞれの「はじまり」のストーリーがありました。

「博愛社報告」の中の“新入社員(支援者)”一覧
1880年1月17日入社の社員(支援者)名。
大隈重信、山縣有朋、西郷従道(西郷隆盛の弟)、渋沢栄一らの名前も

博愛社設立当初から続く支援の輪。そして「社員」は「会員」へ。

 日赤の活動は、赤十字の理念に共感いただいた皆さまからの支援で成り立っています。このような仕組みは、日赤の前身である博愛社の設立と同時に始まりました。佐野常民と大給 恒(おぎゅう ゆずる)が作成した設立請願書に添付された社則第二条に「本社ノ資本金ハ社員ノ出金ト有志者ノ寄附金トヨリ成ル」と記されています。

 創設時、支援者(寄付者)の肩書は「社員」としました。赤十字の理念に賛同し、活動を支える支援者は、「日本赤十字社の事業に携わる社員である」と位置づけたのです。赤十字運動は政財界にも浸透し、初期の社員には錚々(そうそう)たる顔ぶれが。その後、社員の妻や貴族・華族の女性が中心となった日本初のボランティア団体「篤志看護婦人会」が誕生。その活動も後押しになって支援の輪が全国津々浦々へと広がり、社員数も増えていきました。

 かつての「社員」は「会員」と名称が変わり、現在、日赤の活動は個人会員20万人、8.5万の法人会員に支えられています。

 

日赤の各事業の「はじめて物語」はWEBサイトでご覧いただけます。