献血なるほどヒストリー vol.3 「移動採血車(献血バス)」 献血の歴史やトリビアが満載!
献血にまつわるさまざまなエピソードを紹介する連載コーナー。今回は、1961年に第一号が誕生した「移動採血車(献血バス)」のお話です。
移動採血車(献血バス)の誕生
「人が人を支える」愛の献血の象徴へ
1960年代、輸血用血液の安全性を高めるため、社会として無償の供血を求める声が高まっても、金銭を得るために血を売る人は後を絶たず、赤十字血液銀行(後の血液センター)による採血の実施は苦戦を強いられていました。そんな中、日を追うごとに目覚ましい成果を上げていったのが「移動採血車」です。
日赤における第一号の移動採血車は1961年に誕生。郵政省の「お年玉付き年賀はがき寄付金」の配分により製作されました。現在の献血バスと比較すると小ぶりな作りで車内の採血ベッドも2床でしたが、稼働から半年で2568人、翌年度は2台目以降が製作され1年で7196人、3年目は車両数が増えたこともあって1万3853人と、採血実績を上げていき、後の献血推進の閣議決定までに14台が赤十字血液銀行に配備されました。工場、事業所、学校など集団献血が可能な場所に向かうことができ、行った先々では献血者の募集をアピール。その有効性を国も認知し、1964年の閣議決定で国庫の追加補助が確定、誕生からわずか3年3カ月で合計41台の移動採血車が日赤の管理下に配備されました。
1964年11月、移動採血車の名称について、一般の方々の投書が全国紙に掲載されました。「『愛の血液助け合い運動』のスローガンにふさわしくない。(中略)多くの人の生命のため各人の大切な血液をさし出すのにぴったりした名はないものか」。その意見に対し、後日、別の読者から「“愛の献血車”としたらいかがですか」と。これらの新聞投書もきっかけとなって通称が変更され、同年12月23日に血液センターに配備された採血車には「愛の献血車」の表示が。以降、各地を巡回する「愛の献血車」は、互いに支え合う社会の象徴ともいえる存在になりました。