輸血なるほどヒストリー vol.1 正しい手法が確立されていない時代の試行錯誤

今回から新しく始まった輸血にまつわるさまざまなエピソードを紹介する連載コーナー。その第1回は最初の輸血の成功例について、当時のエピソードを紹介していきます。

命を救う輸血に向けた先人たちの歩み

ブランデル医師が実施した輸血の様子(イメージ図)

 医療目的で輸血が試みられた古典的な事例として、1667年にフランス国王ルイ14世の侍医が、4人の貧血と高熱で苦しむ患者に子羊の血液を輸血した記録があります。結果として、副作用により患者は真っ黒な尿を出した末に死亡。この出来事をきっかけに輸血禁止令が出され、19世紀に入るまで輸血の記録は残っていません。

 人から人への輸血の最初の成功例とされているのが、産業革命と共に近代医療の黎明期であった1827年、イギリスの産婦人科医ブランデルによって行われた、弛緩出血で死に瀕する産婦たちへの輸血です。ブランデルは、独自の輸血器を使って産婦の夫の血液を投与することを試みました。

 この輸血器は、和式トイレのような形の血液の受け皿から真鍮製のチューブが下がり、その先端は尖らせた銀製の部品となっています。ブランデルの弟子が未消毒のナイフで夫の肘の動脈を切開、あふれた血液を容器に受け、チューブの先端を産婦の肘の静脈に差し込む形で輸血は行われました。結果として10数名のうち半数が救命されましたが、これはABO式血液型を無視して輸血したときの成功率と同程度の割合でした。

 また、未消毒ナイフによる切開によって傷口は腫れあがったといいます。当時は、ABO式の血液型が発見されておらず、抗凝固剤や消毒法がない中で、今から見ればとても無謀な行為でしたが、これ以降も輸血の試行錯誤は続けられ、近代の輸血手法の確立へとつながっていきます。

監修:髙本滋先生(日本輸血・細胞治療学会名誉会員)