子どもたちに、未来を 10月は「里親月間」!
毎年10月は、「里親月間」。日赤では、里親制度の理解を深め、一人でも多くの子どもたちに温かな養育が行き届くよう、啓発活動を行っています。今月の特集では、日赤岩手乳児院の里親支援相談員と、乳児院がサポートしている里親お二人にインタビューしました。
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子どもたちにとって、ここは“おうち”。
幸せな、家庭生活に近い日常を
日赤岩手乳児院
保育士・里親支援専門相談員
山口 瞳さん
日赤岩手乳児院では、さまざまな事情から保護者の養育を受けられない乳幼児を預かり、大切に育てています。ここで生活をしているのは、生後間もない新生児から4歳までの子どもたち。家庭生活に近い養育を目指して、リビングからキッチンで調理する大人の姿が見えるようにし、お食い初めなどのお祝いや季節のお楽しみ会を行い、「みんなの“おうち”」として幸せな時を過ごせるように工夫しています。また、岩手乳児院には専門の里親支援相談員がいて、里親のサポートや里親を希望する方たちへのアドバイスに力を入れています。
生まれてすぐに預けられ、4歳まで乳児院で育つ子もいます。どんなに普通の家庭らしく育てようとしても、乳児院の子は、思いがけないところで、家庭で育った子との違いが出ます。例えば、家庭で育った子は、勝手に他の子の自転車に乗ったりしませんが、乳児院の子は他人の自転車という認識がなく無断で乗ってしまいます。家庭や地域での経験が少ない、そのギャップを埋めるにはどうするか、里親さんと話し合いながら支援を進めていきます。
里親家庭に預けた後も、家庭訪問をして発達状況を確認し、里親支援は継続します。また、「里親サロン」を開いて、先輩里親さんの経験談を聞いたり、お互いの悩みを相談できる機会を設けています。里親サロンはコロナ禍で休止していましたが、ようやく春から再開しました。
私は学生時代にこの岩手乳児院で実習させてもらい、その際に、なんて温かい施設だろう、と感激しました。ここは「かわいそうな子たち」が生活している場所ではなく、温かい「おうち」です。乳児院の職員は、一番かわいい時期の子どもたちを喜んで育てさせてもらっています。
里親インタビュー/ CASE1 高瀬さん
2度目の子育てができてありがたい!
里親サロンが心の支えになっています
里親になろうと思ったのは、40代前半のころ。結婚・出産が早かったので、子育ても落ち着いて、「まだまだやれるのに…」と感じたのがきっかけ。8年前に一人目(Yくん)を、昨年の春には二人目(Kくん)を迎え入れました。初めて里親になったとき、Yくんには嘘をつかないと決めて、「産んでくれたお母さんが別にいる」と伝えていました。「私が産んだのよ」と言えたらどんなに楽だろう、と思いながら…。Yくんが小学校1年生のある日、生まれ変わりの話をどこかで聞いたらしく、「僕、生まれ変わるときはママから生まれてきたいな」と。思わず「ママも生まれ変わったらY くんを産むよ!」と、感極まってしまいました。
二人目のKくんは、医療的ケアが必要な子。心臓の手術の影響で酸素を吸入しているので、幼い子たちの中で育てるのはリスクがあるため、児童相談所から養育を打診されました。医療的ケアが必要といっても、私にとっては、これまでの子育てと変わりません。子育てはいつだって大変です。それでも、子育ては楽しい! 家族で一緒に遊び、お出かけするときに幸せを感じます。乳児院のサポートにも感謝しています。実子の子育てと違った難しさもあり、同じ立場の親同士で育児の悩みが打ち明けられる「里親サロン」は、とても大切な場所。今は、Yくん、Kくんに出会えて、子育てをさせてもらえて、ありがたい思いでいっぱい。里親にハードルを感じている人も多いかもしれませんが、短期の預かり制度など、関わり方はさまざま。興味があったら、ぜひ一歩を踏み出してほしいですね。
[ 高瀬さん一家 ]
岩手県在住。実子である長男と長女はすでに独立。現在は夫(里父)と、小学校4年生のYくん、3歳のKくんとの4人暮らし。Yくん、Kくんともに、それぞれが2歳のときに里子として迎え入れた。
[ 写真 ]
(左)高瀬さん一家。Yくん・Kくんは実子であるお兄さん・お姉さんとも本当の兄弟のよう (中)足にも障害があるKくんを里父さんが背負ってハイキング (右)Kくんにお絵描きを教えるYくん
里親インタビュー/ CASE2 菊池さん
不妊治療を経て、里親になる決意を。
子育てが自分を成長させてくれました
里親になるまでは、子どもを望んで、長い間不妊治療を続けていました。体にも負担が大きく、治療を断念したり、また再開したりという日々が続く中で、「血縁に強くこだわらなくてもいいんじゃないか…」という思いが生まれ、福祉相談センターに足を運んだのが始まりです。実親さんの意向もあり、養子縁組ではなく養育里親として2歳のIちゃんを預かりました。
初めての子育ては、想像していた以上に大変!10秒目を離せば器用に鍵を開けて外に出てしまうし、家中の引き出しや扉を開けては中身を全部出したり、時には、わざとじゅうたんに牛乳をこぼすなどの“お試し行動”が続きました。一方でIちゃんは、昼間は大暴れしても、夜に寝かしつけていると声も出さずにしくしく泣くんです。こんなに小さいのに、寂しさや、さまざまな葛藤と必死に闘っている…。大人の都合で私たちの元に来てもらったのに、投げ出すことはできないと思いました。それに、寝顔や甘えてくるときの彼女がとにかく愛おしくて! 大事に思っている気持ちを伝えようと、毎晩「大好きだよ」と語りかけ続けました。あるとき、「私がおなかにいるとき、どんなだった?」とIちゃん。いつの間にか私が産みの母だと記憶が変わっていたのです。うれしさがあふれた一方で、真実を伝えなければ、と。真実を話すのは苦しかったですね。里親になってから、乳児院のアドバイスやサポートには何度も救われました。里親になれて、自分が成長させてもらっていると感じる日々です。
[ 菊池さん一家 ]
岩手県在住。不妊治療を経て、里親として子どもを育てていくことを決心。5年前に2歳の女の子(Iちゃん)の里親に。現在は夫(里父)と小学校2年生になったIちゃんと3人で暮らす。
[ 写真 ]
(左)里子になったばかりのIちゃんと菊池さん (中)迎え入れてから、育児フォトブックを月ごとにまとめている(右)成長して落ち着いたIちゃん。フォトブックを見て、幼い自分が駄々をこねている様子に呆れているそう
1934年に誕生した日赤初の福祉施設
1934年、冷害による大凶作に見舞われ、東北地方の人々は困窮を極めました。栄養不良のために命を落とす乳幼児が増加したことから、日赤の岩手支部は支部病院(現・盛岡赤十字病院)内に、乳幼児の保護を目的とした常設の保育園を開設。同園は後に日赤岩手乳児院と改称し、現在に至ります。