難民となって75年...パレスチナ難民への医療支援 【ワールドニュース】レバノン共和国の難民キャンプ

日赤は、レバノン国内のパレスチナ難民キャンプ内外で、パレスチナ赤新月社が運営する5カ所の病院に対し、さまざまな支援を実施しています。今回は、レバノン北部に位置するサファッド病院で医療技術支援に携わる、福岡赤十字病院 医師の松田圭央さんに話を聞きました。

医師の院内回診に同行し、患者について医師団とディスカッションする松田医師(写真右)


●松田 圭央(まつだ・かおう)/ 福岡赤十字病院 医師
 2023年7月からレバノンに派遣され、パレスチナ赤新月社医療支援事業に従事。パレスチナ赤新月社がレバノン国内で運営する病院への医療技術支援を担当している。

パレスチナ赤新月社のサファッド病院で医師に超音波検査の技術指導をする松田医師(写真右)

松田さんがレバノンで携わる
医療支援事業とは
どのようなものでしょうか。

 日赤は、レバノン共和国で2018年4月からパレスチナ赤新月社への医療支援事業を開始し、現在、第2期目として事業を展開しています。本事業は、同赤新月社が運営する5つの病院に日赤の医師や看護師を派遣し、現地の医療従事者へ技術指導を行うことで、医師の診断能力や看護実践の質の向上、感染症への対応力の強化、傷病者の受入体制の構築など、安定した医療の提供を目指しています。


どのような技術指導を
しているのでしょうか。
なぜ、そういった支援が
求められているのでしょうか。

 主には、現地医師のミーティングや回診に参加し、その都度ディスカッションを繰り返しながら、知識のアップデートを図っています。基本的に、サファッド病院で働く医師や看護師のほとんどがパレスチナ難民です。一方で、レバノン国内でパレスチナ難民は戸籍の作成や財産の所有が認められておらず、職業選択の自由もなく、パレスチナ難民が医師になる機会がありません。現在キャンプ内の病院で医療に従事する医師のほとんどは、海外の大学で学び、医師免許を取得した人材です。医師になるため海外留学を望んでも、移動に制限があるため、家族を連れていくことができず、留学を断念せざるを得ないこともあって、医師の確保は困難です。現地医師や看護師の知識や経験にもばらつきがありますが、私は主に医師への超音波検査機器の取り扱いと検査技術の向上を目指して活動しています。

 近年は、2020年のベイルート港爆発災害や、今年のトルコ・シリア地震を受けて、多数の傷病者の受け入れ体制の構築や災害トリアージのニーズがますます高まっています。一方で、WHO(世界保健機関)が定める医療行為を安全に行うためのガイドラインを知らない職員もおり、医療リスクが潜在している中で業務にあたるケースもありました。現地の医師たちがそもそも何を知らないのかを把握し、ガイドライン遵守の必要性を認識できるように支援していくことも大切だと思っています。


現地でパレスチナ赤新月社の
スタッフとの活動中、
印象深い話があれば教えてください。

 パレスチナ赤新月社の医療従事者の中には、情熱を持って新しい技術を身につけようとする若い医師もいれば、小言が多いものの、診察への同行を快く受け入れてくれるベテランの医師もいます。医師としてのスキルや背景はさまざまですが、総じて言えるのは、彼らは皆、心温かく、愛情深いということですね。派遣前はイスラム文化圏における女性医師の立場に不安がありましたが、サファッド病院には3人も女性医師が活躍しており、快く迎えてもらえたと思います。女性患者にとっては、腹部診察やエコーもリラックスして受けてもらえたようですし、質問もしやすいようで安心しました。

 ハッとさせられたのが、通訳を担当する26歳のアマルさんの言葉。「あなたたちは私たちのことを『難民』と呼ぶでしょう。私が生まれたレバノンでは外国人とみなされています。生まれたときから難民として生きているって不思議ですよね」。多くのパレスチナ難民が故郷を失った75年という年月の間、世代が受け継がれ、生まれたのが難民キャンプだったというだけで多くの制限が課されている彼らの気持ちについて、何も理解していないことに気づかされました。


読者の皆さんに
メッセージをお願いします。

 救急外来で搬送された8歳の男の子の母親から「この子は日本だったら回復できたのでしょうか」と尋ねられたことがありました。パレスチナ難民ではなく、日本で生まれていればもっと健やかに過ごせたのではないかと彼女が思ったのかもしれない、と考えると胸が締めつけられました。彼や彼女の人生が私の人生だったのかもしれないと想像してみてください。そうすることがパレスチナ難民を世界から忘れられた存在にしないことにつながると思います。

現地医師の男性看護師と女性医師の触診を見守る


レバノン共和国ってどんなところ?

1948年に起きた第1次中東戦争により、多数のパレスチナの人々が故郷と家を失い、周辺諸国に逃れました。その一つ、レバノン共和国の人口は約52 9万人。長年にわたってパレスチナ難民を受け入れてきた国の一つで、現在、国内には12カ所の難民キャンプが存在し、48万人以上が暮らしています。