けんけつちゃん、「パリコレ」デビュー! ファッションを通して伝えたい献血への思い

*「パリコレ」は「2024年春夏パリコレクション(パリ・ファッションウィーク)」の略称です
※「けんけつちゃん」は厚生労働省の献血推進キャラクターです

2023年9月25日~10月3日にフランス・パリで開催された「2024年春夏パリコレクション」に日本から参加したファッションデザイナー・市川 マーカス知利さん。クライマックスのランウェイで彼の腕に抱かれていたのは、献血推進キャラクター「けんけつちゃん(チッチ)」でした。市川さんにその経緯と、献血に対する思いを伺いました。

(左)コレクションでは、裏地や差し色で「血液」を連想させる赤を取り入れ、軍服に使われるカーキやベージュを意識的に使うことで、血液の必要性と平和へのメッセージを届けた (右)アトリエにて。スタッフは学生のころから市川さんの才能を認め、慕ってきたメンバーばかり。「けんけつちゃん」とのランウェイにも賛同してくれた

今でも目に焼きついている、
母が闘病する姿
「病気に打ち克つには?」と
考える中で知った献血の存在


「パリコレで『けんけつちゃん』を抱いてランウェイを歩きたい」。東京・新宿東口献血ルームにそんな相談の電話が入ったのは、昨年の9月。電話の主は、ファッションデザイナーの市川 マーカス知利さんでした。

「新宿の献血ルームには、約1年前の12月から通い始めました。今回、パリコレへの参加が決まって、僕が自分のコレクションのテーマに掲げたのが“ミッション”。『本当の血液の使い方を訴えかける』という、僕なりのミッションをデザインにこめました。今、紛争によって多くの血が流れているけれど、血液は、争いで流すのではなく、人を救うために使ってほしいと、訴えたかった。そのため、ミリタリーな要素を取り入れつつ、多様な色と素材を使ったデザインに。しかし、色使いやデザインだけでは伝えきれないと考えていたときに、献血ルームで目にした『けんけつちゃん』がふと頭に浮かびました」

 パリへの出発も迫る中、けんけつちゃんの権利を持っている厚生労働省へ市川さん自身が直談判し、けんけつちゃん人形の貸出許可を得ました。こうして新宿東口献血ルームの人形は無事に市川さんと渡仏。市川さんがそこまで献血啓発に情熱を抱くのには、乳がんで亡くなったお母様への思いがあります。

「母が旅立ったのは、僕が小学校1年生のときでした。幼いながらも、闘病する母の姿はよく覚えています。杖をつきながら幼稚園のお迎えに来てくれたこと、入院してからは治療で髪の毛が抜け落ち、嘔吐する姿、最後の方は言葉を発することさえ困難な状態でした。病気に苦しむ母が記憶に焼き付いて、がんは恐ろしい病気だという恐怖感をずっと抱いて生きてきました」。幼心に「どうしたらがんがなくなるのか? 」「病気に打ち克つにはどうしたらいいのか?」と考えていたという市川さん。一方で、中学生になって携帯を持つようになってから、「献血」の存在を知ったのだと言います。
「そのときは、育ての親である祖母に『まだ献血ができる年齢ではない』と止められました。高校生になり献血ルームに行くと、年齢を証明するものを持っていなかったので親への確認が必要と言われ、『簡単にできるものじゃないんだな…』と。また、実の親ががんだったことから、自分の血が人に提供できるものなのかという大きな不安も常に抱いていて、それがストッパーになったのも事実です」

 そんな不安感を払拭してくれたのが、フランス留学から帰国後、デザイナーとして採用された会社で受けた健康診断だと言います。

「母をがんで亡くしていることもあって、『自分にも大きな病気が見つかったらどうしよう』とすごく怖かったのを覚えています。結果が出るまで毎日ドキドキしていました。でも、いざ結果が出たらすごく健康体で『自分の血液を提供することができる!』と、長年の不安や恐怖から解放されました。献血についても自分なりに調べて、がんの治療に使われることもあると知ってからは、『これはやらない手はない!』と」

ショーの最後に「けんけつちゃん」を抱いて登場する市川さん。ショーを見た観客から人形と登場した理由を聞かれ、市川さんはけんけつちゃんの紹介と「紛争で多くの血が流れている。しかし紛争のない場所でも、血液を必要としている人たちがたくさんいる」と説明。観客からは「私も今から献血に行く」という反応が

血液は繰り返し造られる。
僕にとってそれは、
誰かに提供するためだ、と・・・


 今では、コンスタントに献血ルームに足を運び、献血後には次に可能な最短の日程で次の予約を入れる日々だと言います。

「できるだけ間を空けずに続けていきたいと思っています。母の闘病をそばで見ていた経験があるのに、病気で苦しんでいる人たちに貢献できることをしないのは罪だとさえ感じているからです。自分の好きなファッションの世界で仕事をさせてもらえて、夢であるパリコレの舞台に立つことができた今は、仕事がすごく楽しい。だからこそ、病気と闘っている人たちにも好きなことができる喜びを得てほしい。僕が献血することで誰か一人でも苦しみから抜け出せるのなら、母の死も無駄にならないと感じています」

 会社の同僚や友人に、「一緒に献血に行こう」と声を掛けることもあるそう。
「僕が呼びかけることで献血をする人が増えたらと願っています。血液があれば治せる病気があるということを、若い世代にもっと知ってほしい。若く健康な人たちは、飲んで遊んで、自由に日々を楽しめばいい。けれども、それができない人たちもいる。それを知っているのに行動に移せないのは『ちょっと冷たいな…』とも思ってしまいます。顔も知らない誰かでも、みんなが笑顔になれた方が絶対にいいでしょう。それに、血液は少し失っても元の量に復活するもの。再生できない臓器や体の一部を取られるのとは訳が違います。僕は『血液が繰り返し造られるのは、他の人に提供できるように、ってことなのでは?』とすら思っているんです」

 家族の闘病を機に生まれた献血への強い信念が、言葉の端々に感じられる市川さん。「この先も、献血を広めるために自分にできることがあるなら何でもやっていきたい」と語ります。彼の生み出すファッションが世界に羽ばたいたように、献血の輪が、この先もどんどん広がっていくことを願ってやみません。

【Profile】
ファッションデザイナー●市川マーカス知利(いちかわ・マーカス・かずとし)さん
東京都出身。織田ファッション専門学校卒業後、1年間フランス・パリに留学。帰国後自身のブランド『JUSMA(ジャスマ)』を立ち上げ、衣装デザインを中心に手がける。咋年9月に念願のパリコレデビュー。献血へのメッセージが込められたコレクションが話題に。

「針の痛みは何度やっても慣れないけれど、誰かの力になるのなら」と市川さん

(左)この日は「血小板成分献血」のために来所。採取された血液は翌々日の午前中には輸血に使われる(右)「少しでも献血の推進に力になれたら」と、新宿東口献血ルームのスタッフとミーティングをする市川さん

新宿東口献血ルームでは、パリから戻った「けんけつちゃん」を展示。身に着けているリボンと靴下は市川さんの特製です(パリコレ出品衣装の素材を使用)


患者さんの命を救うために、
たくさんの血液を必要としています

新宿東口献血ルーム 辻岡 聖子 さん


昨年の12月に開所2 周年を迎えた新宿東口献血ルーム。推進係長の辻岡聖子さんは、市川さんとの出会いをこう振り返ります。

「コロナ禍から次第に日常が戻ってきている中でも、献血者数は回復していません。どうにか一人でも多くの人に関心を向けてもらうために日々呼びかけをしている中で、今回のパリコレの話題が一石を投じてくれました。『決して自分のブランドの売名行為とは思われたくない』という純粋な市川さんの熱意もありがたく、キャンペーンにも協力していただけて感謝しきれません」。

辻岡さん自身、家族が大動脈解離で緊急手術を受けた際に献血に救われた経験が。その感謝を胸に、“命を救うための献血”の大切さを実感しながら、日々仕事に向き合います。