イスラエル・ガザ人道危機 国際人道法と「命の重さ」 【ワールドニュース】人道危機の渦中で展開する赤十字の活動と、紛争下であっても守るべきルール「国際人道法」
「命の重さは同じはずなのに」――。紛争激化前にガザの病院に技術指導のために派遣されていた日赤の看護師が帰国し、ガザ現地の医療従事者の言葉を伝え、日本の人々に向けて「悲劇の傍観者であってはならない」と訴えました。今回は、人道危機の渦中で展開する赤十字の活動と、紛争下であっても守るべきルール「国際人道法」についてお知らせします。
※今回の記事の内容は2023年12月18日時点のものです
紛争地で人道支援を
届けるための世界的ルール
「国際人道法」
多くの一般市民が巻き込まれているイスラエル・ガザ間の武力衝突。その中でパレスチナ赤新月社(以下、パレスチナ赤)とイスラエル・ダビデの赤盾社(イスラエルの赤十字社)のスタッフやボランティアは負傷者の救急搬送や救命活動、避難民の支援に奮闘しています。
2023年11月下旬には、ガザ北部のパレスチナ保健省が管轄するアルシーファ病院において、水や燃料、医療資材などの物資が不足し、命の危機にさらされる乳児31人に対して、パレスチナ赤が、WHO(世界保健機関)やOCHA(国連人道問題調整事務所)と協力して救急搬送を実施。特に治療を必要とする28人の乳児をエジプトに、残りの3人は健康状態を確認してガザ内の病院に搬送しました。パレスチナ赤は、ガザ地区に39台の救急車を所有していましたが、攻撃などの影響で多くの車両が使用できなくなり、現在稼働しているのは16台。しかし、燃料不足でその16台の運用も困難な状況が続いています。これらの紛争地域における市民や負傷兵の命の保護、それを支えるインフラ機能の維持は「国際人道法」の観点からも遵守されるべきものです。
国際人道法とは、主に武力紛争において、負傷や病気になった兵士、捕虜、武器を持たない一般市民への扱いを定めた国際法ですが、実際に国際人道法という名称の条約があるわけではありません。これは、1864年に結ばれた最初のジュネーブ条約に始まり、第二次世界大戦以降も度々見直されてきた国際的な人道的条約と慣習法の総称です。
国際人道法は、戦闘に無関係な民間人や傷病者、また赤十字・赤新月マークを掲げた医療従事者や人道支援活動などへの攻撃を禁じるもので、紛争下であっても人々の命と尊厳を守るためのルールを定めています。これらのルールは、赤十字の人道精神に由来し、今日では世界中の国で共有され、赤十字のさまざまな支援活動が可能になっています。
同じ重さの命を守るために
できること
今回のイスラエル・ガザ人道危機においては、赤十字の中立な立場を生かすことで、
人道的な支援活動に結びつくケースもありました。赤十字国際委員会(以下、ICRC)は、各地域で拘束されていた人質の解放・被拘束者の釈放へ向け、すべての当事者に中立的な立場で関わり、日本時間の11月27日までに3回にわたって、ガザから人質計58人、ヨルダン川西岸からパレスチナ人計85人を、当局へ引き渡す役割を担いました。その後も、ICRCは人質の即時解放と面会を紛争当事者へ一貫して伝えながら、当事者に影響力を行使できる人々とも対話を続けています。
また、日赤からガザへ7月から派遣され、10月の武力衝突以降の状況も目の当たりにした大阪赤十字病院の看護師・川瀨佐知子さんは帰国後の報告記者会見で次のように
語りました。
「現地の医師や看護師たちは住居や病院も砲撃され、避難しなければならない状況でも、病院に留まり続けていました。24時間体制で診療していた外科医は、爆撃を受けて病院に運ばれてきた自分の子どもの死にも直面しました。それでもどんどん増える患者のために働き続ける、こんな辛いことがあるでしょうか。また、こんな極限状態の中で、どうしたら人道支援活動を継続できるか、必死になって模索し、活動を行うICRCのメンバーの姿もありました。一緒に働いていた現地の看護師の『命の重さは同じはずなのに、自分たちに人権なんてない。世界中が自分たちを攻撃している。本当に惨めで不幸だ』という言葉が今も心に残っています。この瞬間も負傷者、死者は増え続けています。この歴史的な悲劇の傍観者にならず、人々の声を集めて国際社会を動かすよう、行動し続けなければいけないと思っています」
赤十字は本当に助けを必要とする人々に人道支援を届けるため、紛争当事者を非難す
ることなく、公平・中立な立場を堅持し、危機の現場で、そして世界で、国際人道法遵守への働きかけを続けていきます。
イスラエルとガザ地区ってどんなところ?
イスラエルは地理的・歴史的な背景から、政治や民族における課題を抱えてきた。一方、ガザ地区は、1948年の中東戦争で住居や生計を失ったパレスチナ人難民など、人口約200万人のうち7割が難民で、その多くが貧困ライン(1日1.9ドル以下)で暮らしていた。このイスラエルとガザ地区では武力衝突が繰り返されてきた。