台湾東部沖地震 救援から復興へ、赤十字の奮闘 WORLD NEWS
迅速な対応と救護活動により
多くの人を救う台湾赤十字組織
4月3日午前7時58分(日本時間午前8時58分)、台湾の東部沖沿岸を震源としたマグニチュード7.4の地震が発生。花蓮市で震度6強を記録したほか、広い範囲で揺れが発生し、日本の沖縄、フィリピン沖でも津波警報が発出されるなど、大きな影響を及ぼしました。花蓮市では、ビルが傾いたり倒壊したり、至る所に大地震の爪痕が残され、また、震源に近い観光地の太魯閣渓谷では、大規模な地滑りや落石が発生し、一時数百人が孤立状態に。さらに、地震後に雨が降ったことで行方不明者の捜索・救助活動が難航しました。
5月17日時点では、建物の倒壊や土砂崩れに巻き込まれ18人が死亡、1155人が負傷、2 人が行方不明。このほか170 棟の建物が取り壊しや早急な修繕・補強が必要な状態にあり、1900世帯以上の居住環境に大きな被害が確認されています。
台湾赤十字組織(以下、台湾赤)の花蓮支部の災害対応チームは、発災から1時間半後には被災地域に出動し、市街地でビルに閉じ込められた人々の救出や太魯閣渓谷での救護活動にあたりました。さらに、被災地付近の小学校運動場にテント20張を設置し、避難した人々を受け入れる環境も提供。これまで災害対応チーム32人が、消防庁と協力して負傷者や行方不明者の捜索、避難誘導などの活動を計8回実施しました。また、11人の赤十字ボランティアが、避難所の設営やロジスティクス・事務管理の支援にあたり、4月6日までに花蓮市の3カ所に被災者の一時避難場所として計46張のテントを設けました。この他にも台湾赤は、今回の震災により犠牲になった方のご遺族に弔慰金を給付し、連絡の取れた負傷者にもお見舞い金を配布するなど、中長期的な被災者支援にも注力しているところです。
今回のお見舞い金の配布にあたり、台湾赤の王清峰会長と職員は、負傷者が入院する病院を訪れ、入院中の被災者の慰問を実施しました。被災者の林さんは、病気の父と会うために花蓮市を訪れた際に被災し、左手首の骨折と脳震とうで入院。当時を振り返り、「地震が発生した瞬間にすぐに身を守る行動をとっていれば、こんなに大きなけがをしなくてもすんだかもしれない」と語ります。また、落石で重傷を負った妻の見舞いに訪れていた徐さんは、「家族で営んでいた喫茶店は全壊してしまったが、息子が太魯閣にいなかったことが唯一の救いだった。皆さんからお見舞いの言葉をいただき、感謝している」と話しました。
台湾と日本のつながりを感じる
支援と交流の歴史
日赤は、この地震を受けて、4月5日から「2024年台湾東部沖地震救援金」の受け付けを開始しました。台湾と日本はこれまでも、お互いの災害に際して多くの支援を行ってきた間柄。台湾赤と日赤の関係も深く、台湾赤の職員が日赤の保健医療ERU(緊急対応ユニット)研修に参加するなど、災害発生時の救護活動や人道支援について、技術向上の交流も実施してきました。2011年の東日本大震災では、当時日赤が募集した救援金に対し、台湾赤を通じて70億円を超える寄付があり、また、同組織の王清峰会長は震災後に15回も被災地を訪問し、人々を励まし続けました。これらの支援は、住宅の設営や保育施設の再建といった、被災者が平穏な日常や健やかさを取り戻すための事業に大切に活用されました。
今回の救援金には多くの方から支援をいただき、これまでに日赤は台湾赤へ3億円の資金援助を実施。6月初旬には、7億5000万円の追加資金援助を行います。この資金は、震災の影響を受けた人々への経済的支援、居住支援や家庭用品の引換券の配布、学費や教育補助金を提供する教育支援、台湾赤の救護活動のための車両やさまざまな設備の拡充、そして、これから先を見据えた、地域住民参加型の防災訓練や備えを強化するために使われる予定です。
被災した台湾の人々、そして迅速かつ多岐にわたる救援活動に取り組む台湾赤を支えるべく、日赤もできる限りの支援を継続していきます。
台湾ってどんなところ?
東アジアに位置し、人口約2342万人を抱える台湾。年間の訪日者数は約420万人(2023年、日本政府観光局)にもなり、2011年の東日本大震災の際には200億円を超える義援金で日本の復興を支えた。今年の能登半島地震では、台湾政府が民間から集めた寄付はわずか2週間で5億4000万台湾元(約25億円)にのぼった。