救い護る人を育てる 日赤の看護師養成

日赤は134年前に、戦争や災害から命を救う救護員(看護師)の養成を始め、現在では、9校の看護専門学校と6校の看護大学が、その使命を引き継いでいます。今号では、看護師になるべく日々研鑽している5人の学生にお話を伺いました。

【 ココが違う!日赤の看護師養成 】
赤十字病院の看護師は、災害時に救護員()として活動します。そのため、日赤の看護専門学校・看護大学では、通常の看護教育に加え、さまざまな授業の中で、赤十字の理念を理解し、災害にも対応できる知識・技術を学んでいます。その指導にあたる教員の多くが、実際の災害で救護活動の経験を持つ赤十字看護師です。また、赤十字看護師として海外の赤十字活動や人道支援に参加する役割もあるため、語学や国際理解の学習にも力を入れています。
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病院勤務3年以上で、災害看護の専門教育を受けた者が救護員に登録される

助ける人も、
助かる人も増える
「人道」という考えを広めたい

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大津赤十字看護専門学校 3年
鳥本実花(とりもとみか)さん

 大切な人を助けられなかった…その後悔と申し訳なさが、看護師を目指すきっかけになりました。

 私が中学生のときでした。その日、祖母だけが家に残り家族4人はそれぞれ外出していました。夕方、私が帰宅すると、浴室に灯りが。しばらく時間がたち、気になって様子を見にいくと、祖母が浴室で倒れていました。慌てて両親を呼び、救急車が到着するまでの間、懸命に心肺蘇生をする両親を見守ることしかできませんでした。共働きで出勤が早い両親の代わりに、毎朝起こしてくれた祖母。学校から帰ると、おかえりと言ってくれるのも祖母でした。倒れている祖母に何もできなかった、その悔しさと申し訳なさを、人の役に立つことで返していきたと思うようになりました。
 
「自分にできること」を探して臓器提供の意思表示カードの存在を知りましたが、今、健康なうちに力になれることをと考えてたどり着いたのが、献血でした。高校生になって献血ルームに通うようになり、そこで働く人や献血をする人たちの「誰かのために」という思いであふれている献血ルームが大好きになりました。同時に、緊張している私に優しく対応をしてくださる看護師さんに憧れ、仕事として毎日献血に貢献できる献血ルームの看護師になろう、と看護専門学校に入学しました。
赤十字の看護専門学校に入学してよかったこと。それは、自分と同じように「誰かのために」という気持ちを持っている仲間と出会えたことです。高校のころは、献血をすることに対して、周りから「痛くない?」と不思議がられることが多く、献血のことを話すのをためらうようになりました。しかしこの学校では献血に行く話題がよく出ます。実習先のドクターも頻ぱんに献血に行っているし、私が献血行こうかな、とつぶやくだけで「私も行きたい!」と言ってくれる仲間がいます。

 実習先が大津赤十字病院であることも、この学校の利点です。先生が同病院の看護師なので、実習でのことを質問しやすいです。実習では、自信をなくし、看護師に向いていないかもしれないと落ち込むこともありますが、術後につらそうにしていた患者さんが回復していく様子を見るうちに、人の回復に関われる看護師の仕事の素晴らしさを知りました。最初は献血ルームで働きたいという思いから目指した看護の道でしたが、今では、個々の事情を抱えた患者さんと関わることができる病院看護師の仕事に魅力を感じています。

 赤十字の学校に入るまで、「人道」とは何かを考えたことはありませんでした。人を自然に思い合える空気の中で「人道」について学ぶことにより、気づきや行動が変わりました。人道の精神をもって患者さん一人一人と向き合う看護をすることで私自身も「人道」を広める一端を担えるのでは、と思っています。少しずつでもこの考え方が広まり、助ける人も、助けられる人も増えて、思いやりがあふれる社会になることを願っています。

暴力的な患者にも
偏見を持たずに向き合う
赤十字の看護の精神に感銘

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木戸さん(左)と、今田さん

京都第一赤十字看護専門学校 3年    
木戸沙弥香(きどさやか)さん、今田綾(いまだあや)さん


(※以下、敬称略)
木戸「敵味方関係なく、国籍や人種、宗教など人を選ばず区別せず、どんな人に対しても、赤十字精神や基本原則に基づき医療を提供する。これがどれだけすごいことか…。私がこの理念の実践を目の当たりにしたのは、京都第一赤十字病院での実習でした。看護師に対して、荒々しく大きな声を出し暴力的になっている患者さんがいて、私は恐怖を感じて体がすくんでしまいました。でもその患者さんは、意識が朦朧とし『せん妄』も出ている感じもあって、看護師のみなさんは『どうやって安全に最善の看護を提供できるか』を話し合い、救おうとしていて。雰囲気や姿が怖い、という先入観や偏見によって感情が生まれて、避けてしまうことはよくあることだと思います。でも、怖いとかの感情で終わりにせず『そういう人でも医療を必要としている人であることに変わりはない。それなら、どう向き合うか?』と考え、実際のケアにつなげていく。これが赤十字の精神が根本にある看護の姿だ、と感銘を受けました」

今田「報道や映像で見る赤十字の活動はかっこよく、輝いて見えます。でも赤十字の魅力はその裏側にあると感じています。私たちの学校の先生方は能登半島地震の被災地に救護班として出動し、帰ってきてから私たちに『後方支援、ありがとうございました』と言葉をかけてくださいました。先生方の活躍を祈り、留守をまもりながら自分たちの学業に専念していただけなのに、『それも後方支援ですよ』と仰るのです。驚くと同時に、現地で活動する人々と同じ気持ちになって裏方でサポートすることも立派な支援である、と気づかされました。これは災害救護だけでなく、献血でも奉仕団活動でも、同じことが言えると思います。華々しく活躍するスペシャリストじゃなくても、誰かを救うことに貢献できる、『人を救いたい、助けたい』という思いがある人と、助けを求めている人の橋渡しになるのが赤十字なのだ、と実感しました」

木戸「この学校に入学してよかったと思うことは、最高の仲間と出会えたことです。1年生の災害演習でのこと。20人で1チームになり、災害を想定し、トリアージ→一次救命処置、包帯法、安全な場所へ誘導、救急隊に報告まで行うより実践に近い演習を行いました。この演習に取り組むにあたり、どのようにトリアージをするのか、全体把握をするのか、誰が処置にあたるのかなどを何度も話し合いました。皆が意見を出し、妥協せずに検討をするので話し合いは何時間もかかりました。学生の演習ですから、適当に周りの意見に合わせて短時間で終わらせることもできたと思います。でも誰一人として、それをしない。一人一人が本気で『最善の策』を考える。結果、傷のアートメイクや学生の渾身の演技のかいもあり、リアルで緊張感のある演習が実現しました。もちろん、事前に練った作戦通りにはいかないことも。臨機応変な対応が求められ、状況に合わせた判断の難しさ、全体を把握して、必要な物品を必要な場所に届けることの難しさなど、多くのことを学ぶ機会になりました。普段の学びの中でも、元気がない子がいると誰かが気づいて声を掛けたり、一緒に課題を乗り越えたりして支え合う姿があります。互いに高め合える仲間と学べて、本当にありがたいと感じています」

今田「私はもともと、助産師になりたくて看護学校に入学しました(助産師は看護師資格が必須)。学ぶ中で気づいたのは、助産師と看護師は同じマインドの看護職であるということ。病院の実習で出会った患者さんに、体の病が原因で出る症状とは別に心理的な問題から症状を訴える方がいて、心に寄り添うことの重要性を実感しました。病気の原因を突き止めて対処法・治療法を診断するのは医師ですが、日常的につらいと感じる症状に寄り添っていくのは看護師の役目。別の角度から見ると、患者自身に表に出にくい問題があってもそこに介入できるのが看護師の強みではないかと。だから私は、患者さんやその家族が苦しいときに遠慮せずに頼りたくなる、『心にも寄り添ってくれる看護師』を目指したいと思います」

「自分もいつか、人のために」
被災した経験から、看護の道を志して

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石巻赤十字看護専門学校    3年    
中野幹太(なかのかんた)さん

 東日本大震災で被災したのは7歳のとき。小学校からの帰り道で大きな揺れに見舞われ、不安を感じながら自宅のあるマンションに到着するとマンションの前には屋外に避難した住民が集まっていました。それから間もなくして津波が来ると聞き、私の家は1階だったので家族と3階の知人宅に。その部屋から、津波が町を飲み込み、大きなタンクローリーが流されているのを見て恐怖を覚えました。家は全壊し、2週間ほど3階の知人宅で避難生活を送ってから小学校の避難所に移動、3か月後に仮設住宅に入居。炊き出しや物資の寄付、片付けのボランティア活動、たくさんの方々からの温かい支援が本当にありがたく、「自分もいつか人のために何かしたい」という思いが湧きました。それから数年後、祖父が石巻赤十字病院に入院し、患者のケアをする男性看護師の姿を見て、男性も看護師になれると知ったのです。看護師になろう、と目標が定まりました。

 東日本大震災で最大の被害者を出した石巻市で、ほとんどの医療機関がマヒする中、石巻赤十字病院が救助活動の拠点となったことや、被災地で赤十字の救護班が活動したことなどを高校生になって学びました。赤十字の看護専門学校を選んだのは、やはり災害医療に携わりたかったからです。学校に入学してからは、災害時の救護活動の経験がある先生方から話を聞く機会も多く、今年1月の能登半島地震では看護師でもある学校の先生方が何人も被災地に派遣されて、被災者支援や災害医療を身近に感じています。
 学校では毎年、実際の災害を想定した訓練が実施されますが、3年生の今年は石巻赤十字病院の医師・看護師が主体となる訓練に「被災した負傷者役」として参加します。自分自身が医療を受ける側になることで、トリアージの様子や医療救護活動の動きをリアルに体験することができるので、訓練参加が今から楽しみです。

 学校生活で心に残っているのは、ボランティア活動です。赤十字の学校なので入学と同時に全員がボランティア登録をし、「赤十字奉仕団」として活動します。昨年度、奉仕団長として学校祭と同時開催された夏の献血キャンペーンの企画を中心となってやらせていただきました。自分たちだけでなく、宮城県内の離れた地域の青年赤十字奉仕団からも協力を受けての数年ぶりの開催でした。3団が力を合わせて実施ができたこと、学生の参加もあり、たくさんの人が献血してくださったこと、作成した夏祭りブースで子どもたちが楽しく遊ぶ姿が見られたこと……1つ1つが嬉しく、やってよかったと。学校の仲間が参加した他のボランティア活動の様子を聞いても、周囲からの信頼があるからできるという気がして、学生ながら赤十字の一員であるという実感があります。

人が人を救えるように
働きかけている組織
看護の他にも、大切なことを学んでいます


島村さん_0906支.jpg共に学ぶ友人と、授業の資料に目を通す島村さん(右)

長岡赤十字看護専門学校 2年
島村那優(しまむらなう)さん


 赤十字の看護学校を選んだきっかけは、中学のときの総合学習です。地元で起きた新潟中越地震を調べる中で、災害時の赤十字看護師の活動を知りました。高校で進学先を選ぶ段階になって、改めて赤十字について理解を深め、その災害への対応に魅力を感じ、赤十字看護専門学校を志望しました。また、入学してから、日赤新潟県支部に見学に行った際、災害対応の拠点になることを想定して通常の1.5倍の耐震構造で建てられていたり、天井が落ちても人的被害を最小限に抑えるために軽量な素材を使用したりと、災害への備えを徹底していることを知り、とても感銘を受けました。

 赤十字の看護学校は「人道」を教育理念に掲げていて、3年間みっちりと赤十字の人道や「災害看護学」などの指導を受けます。私は2年生で、まだ学んで1年と少しですが、もうすでに、ここで学ぶことは看護師としてだけでなく人としても大切なことばかりだと感じています。例えば、1年生の最後にあった病院での実習でのこと。目標は「患者さんを理解すること」でしたが、患者さんとどうコミュニケーションを取ればいいのか悩みました。でも頭を切り替え、自ら病室に行って患者さんとコミュニケーションをとるうちに、カルテの情報だけでは足りなかった部分が見え、患者さんへの理解を深めることができました。このように行動に移せたのは、入学後すぐに参加した赤十字トレーニングセンターでの学びが生かされています。看護師にとって大切な能力は、まず気づくこと、そして相手を見て深く考え、実際に行動することだと実感しました。

 医療や看護の他にも、救急法や水上安全法などの講習によって市民による救命率を向上させようとしているところにも魅力を感じます。知ることで誰かを救える、救われた人も早く手当てしてもらったことで回復が早くなる。献血の事業もそうですが、人が人を救えるように働きかけている組織というのは、この社会に必要不可欠です。私も看護師としてその社会活動に参加し、貢献していきたいです。

災害看護を究めたくて選んだ学校で
看護師の役目は
「苦しみを和らげること」と知った


内田さん_演習(車椅子への移乗)_支.jpg車椅子への移乗演習をする内田さん(右)

京都第二赤十字看護専門学校2年
内田昌孝(うちだまさたか)さん

 母が看護師ということもあり、小学校低学年のころから医療職に興味がありました。最初に憧れたのは、救急救命士。その後看護師に目標が変わったのは、東日本大震災での日赤の救護活動を知ったからです。

 私は小学4年生から中学3年生まで地元の合唱団に所属し、高校からは水泳部の練習に打ち込む一方、合唱団OBで結成した『合唱団Youth』の代表をしています。その活動の中で、東日本大震災の被災地に義援金と歌を届けるというイベントがあり、その際に震災の伝承館で日赤の救護活動を映像で視聴。衝撃を受けました。自分も災害看護、災害医療を学びたいと強く思ったのです。

 看護の大学や専門学校はさまざまありますが、災害看護・災害医療について深く学ぶことができる赤十字の専門学校を選びました。災害に備えた総合演習では、実際の災害現場を想定し、傷病者役、救助者役に分かれて実践的な演習を行います。講義を受けていく中でも、日赤救護班でありDMAT(災害派遣医療チーム)でもある医師や認定看護師()の方から、実際の災害現場での救護の体験談を聞くことができます。先日の能登半島地震の際も、看護師でもある担任の先生が救護員として被災地に出向き、帰校して、被災者に寄り添った「こころのケア」の大切さを教えてくれました。こうした学びを通して、看護師は医療を提供するだけでなく「苦しみを和らげる役目」があるのだと知りました。今、自分の目標もDMATや救急看護、小児救急の資格を取りたいと大きく広がっています。赤十字の学校で学ばなければこのような目標を持たなかったかもしれない、入学して本当によかった、と実感しています。

 赤十字は世界にネットワークが広がっていて、紛争が続く地でも、赤十字の理念に則り、中立な立場で敵味方の区別なく救護に当たっています。私は、そんな赤十字の姿勢にとても感銘を受けています。国内医療に関しても、へき地医療拠点を作り、医師の確保が困難な山間部や離島を巡回し、地域住民の診療や健康診断を行い、病気の予防と早期発見に努めるほか、エイズ治療、被爆者治療、緩和ケアなど、あらゆる病気や苦痛に対応できる組織が備わっています。私も、どんな環境下でも分け隔てのない看護で、その方の苦痛を少しでも和らげられるよう、精神もスキルも磨いていきたいです。


特定の分野において、熟練した技術・知識を有する者として認定された看護師。例:「感染管理認定看護師」など

「救い護る人」を世に送り続けて

1886年 博愛社病院設立 / 1890年 看護師養成を開始
 ― 救護員(看護師)養成のために病院設立

1891年 濃尾大地震
 ― 養成看護師による初の災害救護

1923年 関東大震災
 ― 日赤は193の救護所を設け被災者を救護

1939年 第二次世界大戦
 ― 看護師養成を加速させ海外戦地に延べ3万3156人を派遣

1945年 広島、長崎に原爆投下
 ― 被爆地の赤十字病院に患者殺到、被災した看護師・看護を学ぶ生徒らも救護に尽力

1985年 日本航空123便墜落事故
 ― 損傷のひどい遺体を生前の姿に近づけて整復する「整体」を実施

1995年 阪神・淡路大震災
 ― 全国から救護員延べ6000人を派遣

2004年 新潟県中越地震
 ― 「こころのケア」を本格的に展開

2011年 東日本大震災
 ― 発災から半年にわたり過去最大規模の救護活動を展開

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