40年超のネパール支援、完結。新たな連携へ【WORLD NEWS】
日赤はこれまで、飲料水の供給や衛生環境改善、防災事業など、さまざまな形でネパール赤十字社への支援を行ってきました。2015年4月に発生したネパール大地震以降は、急性期の緊急支援から復興支援まで5年以上継続。2021年からは集落の防災力と回復力強化を目指した事業を行い、2024年5月に完結しました。今回は日赤による40年以上にわたる支援の歴史を振り返ります。
1983年、海外たすけあいと共に
スタートしたネパール支援事業
日赤とネパールの関わりは、古くは1965年にまでさかのぼります。当初は日赤職員ではない結核など伝染病の専門家の派遣を行っていました。その後、本格的な支援に乗り出したのは、1983年。このころ、国際赤十字が開発途上にある国々の農村開発や衛生・感染症問題に注力し始め、その中で日赤はNHKと協働する「海外たすけあい」キャンペーンをスタートさせました。ネパール支援は「NHK海外たすけあい」の寄付で実施された最初の開発協力の一つです。
この事業では、飲料水供給と衛生改善の課題に取り組みました。当時のネパールは、約6人に1人(約18%)の子どもが5歳まで生きられずに亡くなるほど、不衛生な飲料水と衛生知識の欠如による高い罹患率が問題視されていました。日赤はネパール赤十字社を通じて同国の18の郡で人々に安全な水を提供するために、地形の高低を利用した簡易水道や井戸などの整備を進めました。また、保健スタッフが女性向けに保健衛生教育を行ったり、家庭を訪問して食事の栄養バランスを指導したりと、草の根の活動で健康支援を行い、この活動は2003年まで続きました。現在では、5歳までの子どもの死亡率は2~3%にまで低下。20年間続いた日赤による支援も、保健衛生の土台作りの一端を担いました。
「住民の災害対応能力を
高めるために」
コミュニティ防災事業を支援
その後2012年には、ネパール・コミュニティ防災事業への支援を始めます。山や川の多いネパールでは、災害が発生すると支援が届きにくいため、住民が自ら災害に対処し、被害を最小限にとどめる力をつけることが重要です。3つの郡を回り、日本の消防団のように災害時には初動対応も行う自主防災組織の設立や住民への防災教育などの活動を約3年続けましたが、そんな矢先、2015年のネパール大地震が発生しました。マグニチュード7.8の地震は、当時の人口のおよそ20%、約560万人が被災するほどの甚大な被害をもたらしました。日赤は発災当日から医療チームを派遣し、その後2020年12月まで、住宅再建や給水衛生、生計支援など、幅広い分野で復興に向けたサポートを行いました。
大地震を経て
より災害に強い地域づくりへ
2021年からは、新たに同国の中で特に災害リスクの高い3つの地域で、ネパール大地震の経験を踏まえた「コミュニティ防災強化事業」への支援に取り組みました。公共のインフラも十分に整備されていない地域で、ネパール赤十字社は官民一体となって災害に備えるため、自治体と協定を締結。新しい支援地でも「自主防災組織」を結成して、救急法や消火訓練に取り組むなど、防災力と回復力の強化に励み、日赤もそれを支援しました。新型コロナウイルスの感染拡大による活動休止など紆余曲折ありましたが、今年5月、この支援事業も区切りを迎えました。日赤のネパール代表部を閉鎖するため、現地に赴いた国際部の辻田岳さんは、ネパール赤十字社のスタッフとのやり取りを振り返ってこう語ります。
「ネパールを離れる際に現地スタッフにかけられた、『日赤のおかげでネパール赤十字社がある』という言葉は忘れられません。この40年以上に及ぶ活動によって、ネパールの人々に“赤十字は身近な存在、頼りになる組織”という意識が定着しました。これからは、ネパール赤十字社が自らの力で事業を推し進めていくフェーズです。大きな懸念の一つである活動資金確保においても、意識の高いボランティアやスタッフが地域行政に働きかけ助成金の協力を得るなど、自分たちの力で歩み出しています。これからも、ネパールの状況を注視しながら、必要に応じて支援ができる体制をとりたいと思います」
支援は区切りを迎えましたが40年以上の深い関わりの中で強い絆を育み、共に成長してきた「赤十字の仲間」としての連携は、これからも続いていきます。
●ネパール連邦民主共和国ってどんなところ?
インドと中国の間に位置し、国土は北海道の約1.8倍、人口は約3055万人。ヒマラヤ山脈に代表されるように地形の起伏が激しく、国土の約8割が丘陵・山岳地帯であり、自然災害のリスクも多く抱えている。
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