被災地の1月、支援者たちの想い 能登半島地震から1年。支援のために移住する方も…
2024年1月2日、石川県支部の災害対策本部会議で被災状況を説明する富樫さん(中央)
明日を生きる力は
支え合う、温かな
コミュニティーから
日本赤十字社石川県支部
事業推進課長
富樫 純治(とがし じゅんじ)さん
昨年元日の地震から1年がたちました。地震発生の日の夕方、石川県支部に参集し、救護活動を展開するための災害対策本部を立ち上げたことを昨日の出来事のように覚えています。今年の正月は、まさかと思いながら再び何か起きるのではという不安があり、何事もなく新年を迎えることができて、ほっとしています。
いま被災地では、ライフラインの復旧も進み、営業を再開するお店も増えて、復興に向けた良い動きもありますが、まだまだ苦しい状況もあるのが現実です。なんといっても、被災地の方々にとって筆舌に尽くしがたい苦難だったのは、正月の地震から復興へ向けて歯を食いしばって頑張っているところに9月の水害が起きたということ。なぜ私たちばかりがこんな目に…という声も聞かれた一方で、日赤の救護班として避難所を巡回して感嘆したのは、地震後の経験をもとに、皆さんが力を合わせて上手に避難所運営をされていたこと。どこの避難所も生活の様子に助け合いの心が見て取れ、その強さに心を打たれました。
地震発災以降、石川県支部では赤十字防災セミナーの依頼が増えました。受講者からは、避難所がどういう状況であったか、日赤の支援の動きなど、具体的な質問が挙がり、防災意識の高まりを感じます。受講した方からは「もっと早く受講すればよかった」という声が聞かれ、受講後のアンケートにも被災を自分ゴト化して向き合う姿勢が見受けられます。一方で、日赤職員を含めて、県内には自分や親族・友人が被災した経験を持つ方も多く、防災セミナーで使用する災害の写真などでつらい思いをさせないよう、注意深く進めています。石川県内の赤十字ボランティアの活動も時間と共に変化しました。発災直後は炊き出しが主でしたが、現在の主な活動は「交流の場づくり」。県内・県外の赤十字ボランティアが仮設住宅などを訪れ、住民のコミュニケーションの場として、足湯やハンドケア、茶話会といったお楽しみ企画を行っています。災害によって地域を離れざるを得ない人もいる中、これから目指すべきは、地域に残る人々が自立して支え合う関係が育ち、温かいコミュニティーを形成することだと感じています。復興も、大きなにぎわいや活気があることにこだわらず、コンパクトサイズでもいいじゃないですか、人々が幸福で安心して生活できれば。そういうコミュニティー形成の支援にも赤十字として関わっていけたら、と考えています。
災害後に実施した防災セミナーで「ひなんじょたいけん」をレクチャーする富樫さん(左)
2024年1月5日、珠洲市宝立町(鵜飼地区)。倒壊した家屋の横を歩く人々©渋谷敦志
9月の水害では、被災地の状況に詳しい嶋山さんのアドバイスが救護活動に生かされた。金沢赤十字病院の救護班メンバーと、嶋山さん(中央)
被災地に移住し、
二足の草鞋で
ボランティアも継続
石川県
赤十字ボランティア
嶋山 恒信(しまやま つねのぶ)さん
金沢市から珠洲市に移り住んだのは昨年8月。定年退職をしたタイミングで、移住して被災地の支援を続けたいと思い、珠洲市の社会福祉協議会(社協)の嘱託職員に応募し、住まいとして農家民宿の一部屋を借りました。支援を続けるなら珠洲市で、と決めていました。珠洲は、地震・津波と二重の被害がありましたが、地理的な問題、支援の届きにくさから、ひときわ復興が遅れていた地域。私はもともと赤十字ボランティアで、能登半島の被災した各地に救援物資の配布や日赤救護班の帯同で何度も訪れ、被災地の状況を目の当たりにしました。昨年の1月・2月は、定年退職前の有給休暇の消化とボランティア休暇を組み合わせ、赤十字の支援活動で被災地を回る日々でした。
9月の大雨災害のときは家族のいる金沢に帰省していて、水害のあった珠洲へ戻ることができませんでした 。私が住んでいた農家民宿も被害に遭い、もし珠洲にいたら私も被災者の一人になっていたかと。水害が起きていると知ったとき、すぐに日赤石川県支部に連絡を取り、その後、輪島を拠点とした救護活動に協力。輪島・珠洲周辺の通信状況やルートなどを把握していたので救護班の運転手を務めました。私が赤十字ベストを着て活動していたら、たまたま珠洲市の社協の人と会い、「本来はこっち(赤十字)の人なんだよ」と言ったら驚かれましたね。私は現在、社協が開設する「珠洲ささえ愛センター」の職員として、被災された方々の生活再建を目指し、仮設住宅や在宅(自宅)避難者の巡回訪問のほか各地域でのコミュニティサロン(茶話会)などもお手伝いしています。また同時に、仕事が休みの日には災害ボランティアセンターでもボランティアをしています。地震から1年となる年末年始は、珠洲を離れ、別の地域の親族の家で過ごす方もいて、やはり、普通の年末年始と違う、緊張した空気がありました。それでも、年明けの茶話会では、始終穏やかで笑いも交えながら、それぞれの近況や思いを語り合うことができました。今も仮設住宅や解体・修繕を待つ自宅で暮らす方は多く、地域とのつながりが薄くなりがちな環境で、孤立してしまうことを防ぎたいという思いで活動しています。
いま珠洲は、災害後の復旧作業に携わる人も減り、とても静かです。でも、これが本来の珠洲の姿だとも思います。住む人が少なくても、そこに住む人にとっての幸せがあることが大事。私たち支援の手がいずれ離れても、現地の人々が自立して、幸せな生活を送っていけるようになることが目標です。
「珠洲ささえ愛センター」が主催した新年の茶話会。仮設住宅の方々と、嶋山さん(中央)