子ども新聞プロジェクト2019 北海道胆振東部地震 被災地の今
日本赤十字社愛知県支部と朝日新聞名古屋本社による防災学習企画「子ども新聞プロジェクト」。
過去の震災から学んだ教訓を子どもたちが自分の言葉で伝えます。
8回目の今回は、北海道胆振東部地震から約1年後の復興の様子と課題について取材しました。
【取材期間】
令和元年7月13日(土)~15日(月)
平成30年9月6日に発生した北海道胆振東部地震、胆振地方中東部を震源に、最大震度7の揺れが被災地を襲いました。
もともと災害が少ない地域といわれていた北海道。そのため、災害への備えは十分とはいえなかったそうです。
さらに、今回取材した厚真町では、前夜の大雨で土壌が大量の水分を含んでいたという悪条件も重なり、地震とともに一気に山がずれ落ちました。
地震が起きてから土砂が家を押しつぶすまで、たったの「2秒」。そして発生時刻は「午前3時7分」。真夜中とあってほとんどの方が逃げる間もなく土砂に飲み込まれたことがわかりました。
震災から10ヵ月が経ち、復旧作業は着実に進んではいたものの、なだらかな山が何㎞にもわたって崩れ、がれきがブルドーザーで寄せられたままの被災地の様子は、子どもたちにとっては衝撃的で心に突き刺さるものでした。
被害を大きくした液状化について学ぶ ~北海道大学~
胆振東部地震では、震源地から約60㎞離れた札幌市内でも液状化による大きな被害がありました。
最大で2メートルほど陥没し、15度も傾いた家には住むことは困難です。このような道路の陥没や住宅が大きく傾く液状化現象がなぜ起きたのか、北海道大学工学部渡部教授に話を聞くことから取材が始まりました。
渡部教授は、液状化の原因について火山灰の地盤と宅地造成する前は川が流れていた地形を指摘しました。実験を通して、液状化のメカニズムを学んだ子ども記者は、自分の住む地域が以前どんな地形であったのか調べることが減災につながることを理解しました。
前を向いて動き出す被災地 ~被災地を取材~
2日目は、避難所となった厚真中央小学校、厚真町の特産品を栽培しているハスカップ農園、乳牛800頭を飼育していた安平町の金川牧場、鐘付き堂が全滅したむかわ町の法城寺を取材しました。
それぞれ大きな被害をうけながらも、前向きにそして生き生きと話される姿に子ども記者は大きな驚きと感銘をうけました。
メディアにハスカップの被害が大きく取り上げられたことから「震災をバネに全国にPRしていく」と語るハスカップ農場の山口さん。
停電・断水で乳牛の取り巻く環境は最悪の状態なのに、近隣からの牧場の牛を引き取る決断をした金川牧場の金川さん。
反対する従業員に伝えた「こんな時は助け合いだ」という一言が子どもたちの心に響きました。
法城寺の住職、舛田さんは日本大震災でボランティア活動をしていた経験から、今必要なのは「物だけではなく心の支援だ」とSNSなどを活用して伝えました。
「前向きに一歩踏み出せば後悔はない」という住職の言葉も印象に残りました。
ワークショップ ~編集会議~
取材後は、毎日ワークショップ(編集会議)を行いました。子どもたちは取材メモをもとに意見交換し、学んだことを共有していきます。
「大地震は起きない」との考えから、十分な備えをしていなかったという北海道ですが、この東海地方は、巨大な南海トラフ地震が予想されています。したがって、子ども新聞の記事として伝える言葉も「地震は止められないが、被害は小さくできる」という思いがしっかり詰まったものとなりました。
子どもたちが作り上げた子ども新聞は、9月中旬に発行され、愛知、岐阜、三重の小学校などに配布されました。
子ども新聞の記事はこちらからもご覧いただけますので、ぜひご覧ください。