令和5年奥能登地震での日赤の活動
日本赤十字社は、発災後直ちに最大震度6強を観測した石川県珠洲市へ救援物資(毛布、緊急セット、安眠セット)をお届けするとともに、医師・看護師・事務管理要員計15名を派遣し、行政や支援団体と連携しながら避難所の立ち上げ支援や、自宅に留まって避難されている被災者への支援を行いました。また、赤十字災害ボランティアリーダーを中心に赤十字ボランティアも被災地での復旧支援活動を行いました。
石川県能登地方を震源とする地震から1か月 ~赤十字は被災地に寄り添った活動を行いました~
金沢赤十字病院の前濱看護師は、珠洲市健康増進センターからの要請に基づき、5月12日から3日間(17~19軒/日)75歳以上の高齢者や精神的または先天的な疾患がありつつも単身で生活されている方を訪問し、健康状態や生活環境の確認のほか、罹災証明書の申請手続きの説明などを行いました。
前濱看護師は珠洲市の出身であるため、土地勘や独特な言い回しとイントネーションのある方言を理解できることを活かし、時には背中をさすりながら被災者の声に耳を傾けました。
金沢赤十字病院に勤務する前濱めぐみ看護師
「お声を掛けるだけで泣き出す方もいて、とにかく話を聞いて欲しいという状況でした」と語る前濱看護師。「いつもどおり田畑に出て作業されているため、一見すると元気そうに見えても、直接お話を聞くと『またいつ地震が起こると思うと不安で眠れない』『ご近所さんが色々な物を持って来てくれたけど、あまり食欲がないため、おにぎり一つしか食べられない』『子供たちが居る都会に行く気にはなれないし、80歳を過ぎてあと何年生きるか分からないのにお金をかけて家を直す気にはならない』などの不安を抱えている方が多くいらっしゃいました。
特に印象的だったのは、要介護認定を受けている高齢のご夫妻宅を訪問した際、旦那さんは発熱して息を苦しそうにされ、ご自身も手が不自由な奥さんに話をお聞きしていると泣き出してしまったため、市に連絡して旦那さんが入院につながったケースがありました。このように大事に至る前に医療的介入につなぐことができたこと、また『地震から1週間経って、あんたが初めて話を聞きに来てくれた。ありがとね』と感謝の言葉をいただいた時は嬉しく感じ、被災地を巡回する活動の意義は深かったです」と振り返ります。
金沢赤十字病院からは、6名(3チーム)の看護師が派遣されました
前濱看護師にとって、今回が初めての被災者の支援活動でした。「日赤のこころのケア研修で学んだ“みる・きく・つなぐ”を実践しました。また“やり場のない怒りをぶつけられることもある”と教えられていたが、本当だった。過疎化が進む珠洲市は空き家が多いため、両隣の空き家が倒壊しそうな方から、『看護師さんに言っても仕方ないのだけどね。次の地震で隣家が崩れたら被害にあうじゃないか』と言われたこともありましたが、とにくかく、そんな時も傾聴し、気持ちに寄り添うことを心掛けました。被災した自宅での生活を続けることを望む、特に、高齢者の方々にとっては、安心して暮らせる地域コミュニティを維持しつつ仮設住宅に移り住めるような支援が理想的であると思います」と引き続き被災者への支援が必要であることも語りました。現在、珠洲市では、前濱看護師の活動を引き継いだ地元の保健師さんが被災者への支援を継続的に行っています。
「どこまでお役に立っているのだろうか?」活動中はいつも考えています ~被災地で活躍する日赤防災ボランティア~
日赤防災ボランティアとして数々の被災地で活動した経験がある北村裕一さんは、最大震度6強を観測した珠洲市に発災直後から入り、災害ボランティアセンターにて、被災者のニーズと県内各地から集まるボランティアをマッチングする“支援の調整役”としての活動を現在も続けています。週1回程度、車で2時間以上かけご自宅のある金沢市に戻り、日本赤十字社石川県支部へも立ち寄っている北村さんに、お話を伺いました。
地震の被害と水害で異なる被災者のニーズ
昨年も大雨災害に見舞われた石川県。北村さんは、その時の経験に比べて被災者のニーズを把握することに苦労していると言います。水害の場合、ボランティアの方々の力を借りて家具の片付づけ、畳上げ、泥かき、水拭きといった作業が一気に進むケースが多いのですが、今回は地震により、高齢の方が一人で暮らす大きな家が被害にあい、住家を対象とする罹災申請手続きに、納屋や倉庫などが活動中に追加されたことや、また、週末には子供たちが来て片付けを手伝う等の予定もあり、被災者の方がどこをどのようにボランティアの方々の力を借りて片付けたいのかの意向が変わることがあるそうです。
また、災害廃棄物を集積場に運ぶ軽トラックの不足、ボランティアの方に分別をお願いしてもなかなか進まなかったりと、活動を実施するうえでの難しさもあります。被災した奥能登地域では、年に1回のお祭りを大切にする文化があり、お祭り道具の御膳セットや遠方から来る人を泊めるためのたくさんの布団、地震の後雨が降ったため濡れてしまった高価な着物など、大切な物が災害廃棄物となってしまったそうです。
ボランティアセンター立上げ時の様子
運営スタッフの役割分担、センター内のレイアウトなどを指示しています
ボランティセンターでの受付の様子
ボランティア活動をする方への活動先での注意事項などを伝えます
人道・中立・公平を心に携えて
1日の活動を終え、「誰も怪我をせず、熱中症にもならず今日も終えられたな」とホッとする一方で、被災者の方は「もう地震は来ないで欲しい、いつまた来るのではないか」という不安を抱えていることが良く分かるため、その不安に対しては、ボランティアとしてどこまで自分の活動がお役に立てるのかと感じると話す北村さん。被災者の様々な想いや被災地の状況を聞き、考えるときには、赤十字と関わるきっかけとなった救急法の講習で、一番初めに学んだ「人道・中立・公平」の理念を現場で体現するよう心掛けているとのことです。
ボランティアセンターでは珠洲市、社会福祉協議会、NPO団体等、様々な方が活動する中、ボランティアとして被災者の声を聴き、必要な支援につながるように動くことが北村さんの役割です。これまでに石川県が主催する災害支援コーディネーター研修の講師として参加した経緯などから、多方面にお知り合いが居るため、県内の災害はボランティアセンターの運営側として、県外の災害はボランティアとして作業に参加する役割で駆けつけています。昨年の大雨災害時には、日ごろ救急法の講師として訪問している県内の中学校・高校の生徒さんと偶然被災地で出会い、先生方が「北村さんがいるなら」と安心して多くの生徒さんをボランティア活動に参加させてくれたということもありました。
日本赤十字社石川県支部事業推進課の富樫課長は「災害時は被災地からの情報が入りにくいので、支部と密に連絡を取り合い、自ら動いて情報を取りに行ってくれる北村さんはとてもありがたい存在です。長年にわたり支部の活動に関わって下さっている北村さんからは、他のボランティアの方がどうしたら活動をやりやすくなるかなどを教えてもらうことも多く、お互いに役割を認め合って情報を共有しています」と話します。このように北村さんは、人道という赤十字の理念を共有しながら、今後も支援の輪が広がっていくことを願い、これからも珠洲市へ通い、支援を続けるとのことでした。
日本赤十字社は、今後においても被災地に寄り添った活動を続けて参ります。