シリーズ「関東大震災100年」 ~当時の資料から県内の様子をひもとく~(1)
1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東地方をかつてない大規模な地震が襲いました。特に震源地に近かった神奈川県はほぼ壊滅的な打撃を受けました。
このシリーズでは3回にわたって当時の貴重な写真をもとに神奈川県内の様子をひもときます。
第1回目は支部周辺の被害について振り返ります。
県内全域で壊滅的な被害があったものの横浜市内は特にひどく、多くの建造物を失い、2万3,000人を超える死者が出ました。
最も強烈だった第一震のあとも絶え間なく余震が続き、都市部は三昼夜にわたって火の海に。電気、ガス、水道がことごとく止まっただけでなく、通信が途絶えたことで情報もありません。外部の連絡は港に停泊中の船の無線電話に頼るしかなく、県警本部長が船まで泳いでいったとの記録も残っています。
そのうえ、医療機関も壊滅状態に近く、その後の救護活動は困難を極めました。
▲横浜駅近くの惨状
▲現在の小田原市内で転落した列車