三重県支部について

 日本赤十字社三重県支部は、明治22年10月に発足して以来、国際活動、災害救助活動、救急法等講習会の開催、医療事業、血液事業、青少年赤十字、奉仕団活動等、県民の皆様のニーズに合わせた地域活動など、さまざまな活動に取り組んでいます。
 特に、三重県は自然災害も多く発生する土地柄であり、これから起こりうる災害に備えあらゆる取り組みを行っております。そしてこれらの活動は、県民からお寄せいただいた活動資金や寄付を財源として行われています。
 これからも、赤十字の活動へのご理解とご協力をお願いいたします。

支部長あいさつ

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 県民の皆さまには、平素から赤十字事業の推進に深いご理解と温かいご支援を賜り、厚くお礼申し上げます。

 さて、日本赤十字社三重県支部は、明治221889)年の創立から、「人間のいのちと健康、尊厳を守ること」を使命として、多くの県民の皆さまに支えられ赤十字活動を継続してまいりました。これもひとえに、県民の皆さまや法人の皆さま並びに地区・分区をはじめとする関係者の皆さまの深いご理解と温かいご支援によるもので、改めて感謝申し上げます。

 日本赤十字社は、「災害からいのちを守る赤十字」として、被災者に寄り添った救護活動に取り組めるよう日頃から訓練や研修に努めています。平時には県内幼稚園・保育園の子どもたちから自治会の方々まで幅広い年代層の方々へ「防災セミナー」「救急法等講習会」「防災出前授業」などを実施するほか、令和6年1月1日に発生しました能登半島地震災害では、発災直後から医療救護班を派遣し、被災者の支援活動を行いました。発災直後だけではなく、復興まで被災者に寄り添うこころのケアや、義援金の受付など、息の長い支援を続けているところです。

 令和6年度には日本赤十字社三重県支部社屋を移転し、より質の高い被災者支援活動が実施できるよう、災害救護支援センターの役割・機能を備えた施設として運用を開始する予定です。また、災害救護以外にも、日本赤十字社では国際活動、青少年赤十字事業、赤十字ボランティア活動、講習会事業、医療事業、血液事業など「苦しんでいる人を救う」ための活動を幅広く展開しています。

 これらの活動は、ひとえに赤十字の趣旨に賛同くださる個人や法人の皆さまからお寄せいただくご支援により支えられています。本年度におきましても、赤十字運動の理念と活動の普及に向け、何卒活動資金への一層のお力添えを賜りますようお願い申し上げます。

                          
                           日本赤十字社三重県支部

                              支部長 一見 勝之

沿革

明治22年
日本赤十字社三重県委員部を設置
10月19日事務所を三重県庁内に置き、明治29年には社員数などの条件を満たし、 日本赤十字社三重支部に昇格。成川尚義知事が初代支部長に就任。
明治27年
日清戦争において最初の戦時救護
日本赤十字社として初めて本格的な戦時救護となる。三重県委員部からも救護班1個班を編成し、広島陸軍予備病院へ派遣した。
明治37年
日露戦争へ戦時救護班を派遣
日露戦争における日本赤十字社の捕虜への手厚い救護は、「世界で最初の文明戦争」と歴史家に評価される。
明治37年
三重支部山田病院開院
度会郡四郷村に、全国で最初の支部病院として設立。
大正12年
関東大震災における救護活動
救護班を派遣。
大正15年
青少年赤十字団発団
青少年赤十字団が初めて県内に6団設けられる。
昭和5年
最初の衛生講習会を開催
救急法は衛生講習会の1科目として始まる。戦後、日本の実情に合わせて体系化され、県内各地で盛んに開催されるようになる。
昭和17年
太平洋戦争へ戦時救護班を派遣
上海陸軍病院、アメリカ丸、ありぞな丸等の病院船に救護班を派遣。日中戦争から太平戦争まで救護班を19個班(706人)派遣、24人が殉職している。
昭和18年
山田赤十字病院と改称
三重支部山田病院を山田赤十字病院と改称する。
昭和22年
最初の家庭看護法を開催
戦後、米国赤十字社から伝えられた新しい知識と技術で再編成される。現在の健康生活支援講習へと発展。
昭和23年
子供赤十字大会を開催
総裁高松宮殿下の台臨を仰ぎ県下の青少年赤十字団員が一堂に参集し、伊勢市倉田山の平和博覧会場で、子供赤十字大会を開催。この大会がきっかけとなり、青少年赤十字活動は活発化していく。
昭和24年
最初の溺者救助法を開催
日本赤十字社独自の講習として、水上安全法が県内各地でも開催されるようになる。
昭和26年
最初のトレーニングセンターを開催
青少年赤十字小・中トレーニングセンター初開催。
昭和27年
三重支部を三重県支部と改称
日本赤十字社定款の改正で日本赤十字社三重県支部と改称。
昭和29年
山田赤十字病院に血液銀行を設置
昭和27年に日本赤十字社血液銀行東京業務所を開設され、山田赤十字病院に血液銀行を設置した。県内での本格的な血液事業が始まる。
昭和34年
伊勢湾台風での災害救護活動
台風災害として明治以降最多の死者・行方不明者5,098人という被害をもたらした台風15号(伊勢湾台風)災害に、山田赤十字病院、鈴鹿赤十字病院から救護班を最大限に派遣した。
昭和40年
三重県赤十字血液センターを開設
1月に最初の血液センターを山田赤十字病院敷地内に開設、7月に津市塔世栄町の日本赤十字社三重県支部合同社屋へ移転し、現在の血液事業へと発展する。
昭和43年
三重県支部、三重県赤十字血液センター屋舎竣工
津市栄町の三重県合同ビルに三重県支部、三重県赤十字血液センター移転。
昭和46年
近鉄特急の衝突転覆事故における救護活動
一志郡白山町の総合トンネル内で起こった近鉄特急の正面衝突、脱線転覆事故、死者25人、重軽傷者236人の悲惨な事故となる。山田赤十字病院から救護班3個班、血液センターから医師、看護師を派遣、遺体検案、負傷者の救出救護などに従事する。
昭和59年
三重県赤十字血液センター竣工
津市桜橋に三重県赤十字血液センター新築移転する。
平成元年
日本赤十字社三重県支部創立100周年記念大会を開催
日本赤十字社名誉副総裁常陸宮妃殿下のご臨席を仰ぎ、三重県文化会館において、約1,000人の参加を得て記念大会を開催した。
平成6年
第30回献血運動推進全国大会を開催
日本赤十字社名誉副総裁皇太子同妃両殿下御臨席のもと、第 30回献血運動推進全国大会を四日市市文化会館で開催。三重県赤十字血液センターをご視察。
平成7年
阪神・淡路大震災における救護活動
救護班7個班(41人)、応援要員7名派遣。
平成11年
日本赤十字社三重県支部創立110周年記念大会を開催
日本赤十字社名誉副総裁秋篠宮妃殿下のご臨席を仰ぎ、三重県総合文化センターにおいて記念大会を開催した。
平成16年
三重県9.29豪雨災害における救護活動
山田赤十字病院から、救護班を派遣。赤十字ボランティアによる炊き出しなどの活動も行われる。
平成16年
新潟県中越地震における救護活動
山田赤十字病院から、救護班2個班を派遣。
平成19年
能登半島地震における救護活動
山田赤十字病院から、救護班1個班を派遣。
平成19年
新潟県中越沖地震における救護活動
山田赤十字病院から、救護班1個班を派遣。
平成21年
日本赤十字社三重県支部創立120周年記念大会を開催
日本赤十字社名誉副総裁高円宮妃殿下のご臨席を仰ぎ、三重県総合文化センターにおいて記念大会を開催した。
平成23年
東日本大震災における救護活動
平成23年3月から7月までの間で11個班(90人)、こころのケア要員を派遣。
平成24年
伊勢赤十字病院に改称、新築移転
1月1日に山田赤十字病院から伊勢赤十字病院へ改称し、伊勢市船江に新病院を開院。
平成28年
熊本地震における救護活動
救護班を1個班、こころのケア要員を派遣。
平成29年
赤十字救急法競技大会を開催
松阪市さんぎんアリーナで救急法競技会を開催。15チーム71人の参加となる。
令和元年
日本赤十字社三重県支部創立130周年記念事業を実施
10月19日創設から130周年を迎えた節目の年として記念事業を実施。 赤十字ボランティアをはじめ、赤十字の活動に賛同してくださる支援者など340人の参加を得て、三重県総合文化センターにおいて記念大会を開催。三重県総合博物館(MieMu)において「日本赤十字社展―赤十字人道の軌跡―」を開催。赤十字作品展「絵画・書道」コンクールを開催。
令和4年
三重県青少年赤十字まつりを開催
青少年赤十字が創設100周年を迎えたことを記念し、10月23日に三重県総合博物館MieMuにて三重県青少年赤十字まつりを開催した。 運営にあたっては青少年赤十字の高校生が中心となって進め、高校生や赤十字奉仕団の活動紹介・体験や令和3年度に実施した「青少年赤十字ポスターコンクール」作品展示などを行い、約4,000人が来場した。
令和6年
三重県支部、三重県赤十字血液センター竣工
津市あのつ台のサイエンスシティ内に三重県支部、三重県赤十字血液センター移転。