戦時下に赤十字救護員として派遣された方の貴重な資料をご提供していただきました

日本赤十字社の原点は1877年(明治10年)の西南戦争の救護がはじまりです。
その後様々な戦争で日本赤十字社の救護員が活動しました。特に、1937年(昭和12年)の日中戦争から1945年(昭和20年)の第2次世界大戦の終結までの間に33,156名以上が派遣され、埼玉県支部からは676名が派遣されました。
この度赤十字救護員として戦地に派遣された細田(旧姓:矢部)ハナさんのご遺族から、與野赤十字病院(現:さいたま赤十字病院)における活動や赤十字救護員として戦地で活動している写真等の資料を提供していただきました。
細田ハナさんは昭和193月に※看護婦養成所を卒業し、昭和197月~昭和216月まで日本赤十字社埼玉支部第642班の赤十字救護看護婦として従事しました。同班は広東第一陸軍病院やより戦闘地域に近い兵站病院等での救護活動を行いました。その活動は多岐にわたり、戦傷兵への救護のみならず、食糧不足や使役労働の疲労で倒れた兵士や腸チフスや赤痢、マラリアなどの伝染病に感染した兵士の救護等、想像を超える激務でした。敗戦により本土へ帰る引き揚げ船では、コレラが発生、感染が広がったことで、約2ヶ月もの間、横須賀沖に停留させられ上陸できないという事態にも見舞われました。

今回提供していただいたのは、昨年度、戦後75年を迎えるにあたり当支部が戦時下の赤十字救護員の体験インタビュー映像の撮影を呼びかけたことが契機になり、細田ハナさんのご遺族のご厚意で資料の提供が実現したものです。なお、これらの資料は後世に語り継がれる貴重な資料として当支部で大切に保管させていただくことをお約束しました。

今回はその一部をご紹介いたします。

※看護婦養成所は当時の名称であり、後に、令和23月に84年の歴史に幕を閉じたさいたま赤十字看護専門学校です。現在は日本赤十字看護大学さいたま看護学部としてその意志を受け継いでいます。

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