関東大震災から100年

東京支部臨時救護所を皇居前に設置

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東京都支部社屋のエントランスロビーに、「関東大震災当時の宮城前本社東京都支部救護所の模様」と題した油絵があります。

この画は、日本赤十字社が二世 五姓田芳柳(にせい ごせだほうりゅう)に依頼し制作されたものといわれています。大正15年(1926年)に米国・フィラデルフィア万国博覧会に出品されました。

今から100年前となる大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、関東地方でマグニチュード7.9の地震が発生しました。被害は東京、神奈川など7府県に及び、死者・行方不明者は約10万人を超えています。

日本赤十字社東京都支部(当時、東京支部)は、発災後の夕刻には100坪を超える臨時救護所を皇居前広場(宮城前)に設け、ただちに傷病者の手当てを開始しました。画には、大きなテントと救護車が描かれています。テントの前には倒壊した家屋、逃げまどう人々、遠くには皇居や地震による火災が描かれており、当時の様子を知ることができます。

この震災では、死者・行方不明者の9割が焼死だったといわれています。電気やガス、水道も止まる中、救護は続けられました。焼け出された病人や火事で火傷を負った人々、妊産婦、親を見失った子どもたちが、テントに灯る光を頼りに押し寄せ、広場には30万人の避難者が持ち出した家財とともにひしめき合っていました。日本赤十字社は各支部の救護班を動員し、延べ206万人以上を救護しています。

災害がもたらす環境は小さな子どもや妊産婦には過酷なものになりますが、この救護所でも数十組の出産があり、新しい命が生まれました。さらに日赤は、本社の産院のほか、本郷、大久保などにも臨時産院を置き、妊産婦、乳幼児の受け入れも行いました。また、個人ボランティアも身寄りのない子どもたちの保護に活躍、児童保護施設で活動しました。

関東大震災救護活動の思い出(神崎三益による回顧録)

絵画を観ていると当時の様子が伝わってきますが、その時、実際に救護活動を行った医師の回顧録をここにご紹介したいと思います。

 大正12年9月1日午前11時58分、一瞬激しい上下動、続いて大きな水平動、何かにつかまらないでは立ってもいられない。向かいの外科医局の屋根瓦が音をたてて落ちてくる。
 どんなことになるのかと思ったが歩けない。天井が落ちてきたら机の下にもぐるより助かる方法はないという考えが頭をかすめる。ようやく大揺れがおさまって歩けるようになったので、まず病室へと一歩廊下へ踏み出すと、もうもうたる黄煙、火事かと観念したが、それは落ちた壁の砂けむりであった。患者は意外に落着いていた。ことに女の患者が。看護婦はかいがいしく見回って、患者を元気づけている。
 やがて患者に避難命令が出て、それぞれ適当な空地に搬出された。余震の間隔がだんだん遠くなってきたので、もう大丈夫と判断し、夜にならないうちに病室に戻した。
 入院患者の世話以外には、近くからくる負傷者の手当と東京支部救護班に編入されるための出動だけで、あまり平素と変わらない。
 病院から見渡す一面の火の海を見ては、誰いうとなく、赤十字としてこれでよいのだろうか、という声が院内に起きてきた。ことにわれわれが焼跡を視察した報告で、予想外に被害が大きいこと、救護の手が不足していることが判ってくると、この声はいっそう強くなってきた。

(続く)全文はこちら

*筆者 神崎三益は、赤十字社中央病院の医員当時、救護員として関東大震災の救護に当たった。その後、秋田赤十字病院院長に栄転、武蔵野赤十字病院設立に当たり同病院院長として赴任。昭和49年まで同病院の発展に尽力された。(日本赤十字社80年史より抜粋)

参考資料:WEBミュージアム 赤十字ヒストリー、日赤とうきょう(平成14年9月)

当時の震災から学ぶ

地震に限らず、災害後の避難生活などで気を付けなくてはならないのは、感染症のまん延です。
関東大震災当時、まん延を警戒した日赤救護班は、東京府など他機関と連携し、患者受け入れのための臨時伝染病院を洲崎(現在の江東区東陽1丁目付近)と板橋に設置、伝染病棟を拡張しました。
さらに赤痢や腸チフスなどの感染症が爆発的に拡大することを防ぐために、人々へ下記のような注意喚起のビラを30万枚配布しています。

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備えにつなげる

地震はいつおこるかわかりません。災害の発生は防ぐことはできませんが、日頃からさまざまな備えをしておくことで、被害を最小限に食い止めることは可能です。

まずは身近なところからはじめてみましょう。
自宅の耐震化、家具の固定や寝室などになるべく家具や落下物を置かないことなどできることはたくさんあります。また、実際に地震などの災害に備えて、非常持ち出し品を準備しておくことも大事です。チェックリストで確認してみましょう。

日本赤十字社東京都支部では、災害に強い地域コミュニティを目指し、防災・減災に向けた具体的な取り組みや災害時の「自助」「共助」の重要性を普及するため、町会・自治会や自主防災組織、学校や法人を対象とした防災教育を行っています。詳しくはこちらをご覧ください!

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