フィリピンの被災地での仕事を通して

日本赤十字社(以下、日赤)によるフィリピン中部台風復興支援事業は、フィリピンに甚大な被害を与えた2013年の台風30号(英語名:Haiyan、現地名:ヨランダ)の復興支援として2014年4月に始まりました。

その一環である『セブ島北部総合復興支援事業』は、住宅建設や生計向上支援、地域に根ざした保健活動、防災研修、学校のトイレなど衛生設備の整備など五つのプロジェクトを、セブ島北部のダアンバンタヤン郡にある五つのバランガイ(フィリピンの行政単位で村に相当)で実施しています。

 同事業には現在三人の要員を派遣しており、そのうち事業管理要員である李壽陽( り すやん ) 要員が今月離任を迎えました。昨年9月から約半年間の任期を終えた李要員から、このたびの派遣期間を通じて見たもの、感じたことをお送りします。

出会った被災者たち~李要員より

セブ島中部の大都市で働くオマンダックさんは当時、ダアンバンタヤン郡で家族と暮らしていました。台風30号で自宅が全壊し、着の身着のまま家族で避難を余儀なくされたオマンダックさん。なすすべもない自分と家族に、フィリピン赤十字社(以下、フィリピン赤)から米や水、缶詰といった救援物資が届いた時のことを「あの時は本当に助かりました」と振り返り、しばらく涙が止まりませんでした。

セブ島北部が含まれるビサヤ地方を毎年多くの台風が通過します。フィリピン赤スタッフによると、ダアンバンタヤン郡の住民も台風に『慣れている』ことから当時、フィリピン気象庁による警報の発令を知ってはいましたが、被害がこれほどすさまじいものになるとは思われていなかったそうです。

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涙ぐむタピルさんに精一杯声をかける李要員

ダアンバンタヤン郡で三人の子と暮らすタピルさんはその日、「雨が次第に強くなり家の外に出てみると、浸水で崩れかけている家や風に飛ばされて空中に漂う屋根が見えました」と言います。

半ばパニックになりながら小さな神像だけを持って子どもを連れて礼拝堂に走り込み、必死に神に祈り続けたと語りました。

台風の通過後、タピルさんは午前中は子どもとともに食べられるものを探し歩き、午後になると自宅の建て直しを始め、夜には蚊に刺され、アリに噛まれながら眠りについたといいます。家が全壊し、その場しのぎの防水シートの下で生活を送っていたためです。

被災直後には職に就いて家計を立て直すことが難しく、「なぜ人生はこうも理不尽なのか」「なぜ世界はこれほど残酷なのか」と自問しながら、それでも子どもたちのために自分は強くならなくてはいけないと言い聞かせていたと、当時の心境を話してくれました。

そんなタピルさんが日赤の住宅再建支援によって、新しい家に住むようになりました。家の中をきれいに飾り、「この家で子どもたちと過ごせる今が幸せ。本当にありがとう」と、涙をこぼしながら何度も伝えてくれました。 

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住宅の再建工事

災害により、それまで住んでいた家や持っていた物など、一瞬にして多くの大切なものを失う悲しみは計り知れません。

想像を絶する困難を乗り越えて今を生きる被災者が大変力強く思え、彼らから話を聞くことで、わたしにもその強さを分けてもらえたような気持ちになりました。

そして、このように被災地に実際に住み、台風30号により被災した方がたの話を直接聞き、日赤の支援が彼らにとってどのような影響を与えているのかを確認することができたのは、フィリピンに派遣されたからこそであり、とても貴重な機会であると感じています。

日本の皆さまから寄せられた台風30号への救援金、現地へ派遣された私の業務、フィリピンでの日赤とフィリピン赤の活動が、被災者への支援に確かにつながっていると感じることができました。

復興支援事業の今後

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地域防災活動における応急処置の訓練

日赤は支援事業の完了予定の本年12月に向けて、フィリピン赤セブ支部との連携をさらに深めながら活動しています。

来年からは、フィリピン赤セブ支部がこの活動の中心となり、ボランティアや地域住民とともに、災害に対応できる地域社会をその後も継続してつくっていくことになります。

災害多発国のフィリピンで住民が力を合わせて災害に備える地域社会を築き、その仕組みが将来も根を張って続いていくことを、日赤は心から願っています。

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