バングラデシュ南部避難民※支援:避難者の声
赤十字では、9月から緊急支援を行っています。今号ではミャンマーからバングラデシュへ避難してきた方々の声をお届けします。
※国際赤十字では、政治的・民族的背景および避難されている方々の多様性に配慮し、『ロヒンギャ』という表現を使用しないこととしています。
稲作と牛飼いの日々でした・・
36歳のヌルアルシャバさんは、ミャンマーでの生活をこう語ってくれました。「ラカイン州の村では、米作りと牛20頭と羊4頭の世話に明け暮れる毎日でした。夕方になるとお茶を手に近所の女性たちとおしゃべりするのが楽しくてね」そんな光景が広がる村で、息子達の家族と一緒に暮らしていたのです。村が襲われるまでは。
彼女は家財道具や家畜、それまで築いてきた生活のすべてを置いて、夫とともにバングラデシュとの国境を目指して逃げてきました。
避難の途中で産気づき・・
「私はミャンマーの村を出たとき、すでに臨月を迎えていました。村から5日間歩き続けて国境のナフ川を渡り終えた時、とても体調が悪くなり、同じ村に住んでいたヌルアルシャバさんの助けを借りて、破水するまでは移動のスピードをゆっくりにしてもらいました。」カディジャさん(19歳)は言います。
夫のロフィクさん(22歳)は「いよいよ出産が始まると、村の女性たちがぐるりとカディジャを囲んでくれました」と、路上で長女が生まれた日のことを語ります。
バングラデシュに逃れてきた人のうち、24%が5歳以下の子ども、70%以上が女性と子どもです。日本赤十字社の巡回診療でも、妊産婦や新生児のケアを行っています。
先のことは考えられない・・
ムハンマド・アリさん(26歳)は、赤十字からの配付された救援物資であるビニールシート、ロープ、乾燥食品、毛布を天秤棒に結んで、家族が待つテントに持ち帰りました。ミャンマーで住んでいた村の隣村が襲われているとの情報を知り、着の身着のまま逃げてきて、11月末で2カ月になる避難生活。ラカイン州の村では、両親、6人の兄弟や、親戚を含め、大所帯で暮らしていたといいます。「2つ下の弟と、村の修理工場で働いていました。村では結構人気があったんですよ。仕事の後、お茶を飲みに繰り出すのが何より楽しかったんですよね。でも今は何もすることがなく、昔の暮らしや友達が懐かしいです。」
バングラデシュはこれから乾期を迎え、一年で最も気温が下がります。アリさんの母親ファティマさん(68歳)は配給の毛布を受取り、これで寒さがしのげると笑顔がもれました。
3歳の息子サイフル君は、赤十字の救援物資の中にビスケットを見つけて大喜び。子どもたちは避難生活という新しい環境に徐々に慣れつつありますが、親としては心配が尽きません。
将来のことに話を向けると、明るい性格のアリさんの顔が曇りました。「もし帰還できるとしても、家を焼かれ、店も壊され、無一文でどうやって生活再建できるでしょうか。」
今後、家族でどう生活を立て直していくか、将来については考えあぐねているのが現状です。
避難民の数は今もなお増加しており、その数は62万6千人に上ります(12月4日国連発表)。先が見えない避難生活が続く人々のニーズに応えるため、今支援の手を止めるわけにはいきません。
日本赤十字社は来年3月まで医療チームを派遣する予定です。
ぜひ皆様の温かいご支援をお願いします。
振り込みに関するご連絡先
日本赤十字社 パートナーシップ推進部 海外救援金担当
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