日本赤十字社のスタッフが、War surgery seminarに参加しました!
日本赤十字社では医師や看護師を紛争下で活動する赤十字国際委員会(ICRC)のチームに派遣しています。ICRCではそのための準備として、紛争地特有の外傷などへの治療法を学ぶ機会を提供しています。
平成最後の大晦日を迎える少し前、徳島赤十字病院の看護師勝占智子さんが、ジュネーブで行われたWar surgery seminar(戦傷外科研修)に参加しました。集まったのは、世界各国で働く29名の医師や看護師。戦傷外科チームに必要とされる高度な知識を身につけるべく、5日間を通して研修やグループワークを行いました。セミナーに参加した勝占看護師からのレポートをお届けします。
資材や設備に限りがある環境下でもできることを
研修では銃撃、爆発、地雷による怪我への対応法のみならず、CTやMRIなどの先端医療機器がない中で、レントゲンと患者の身体状況により医師は手術をするか否か判断する必要があることが紹介されました。また、紛争下では多い性的暴力の被害者への対応の際に注意する点、怪我による四肢の切断の合意を得る場合に本人の意思もさることながら所属する部族長の意見が尊重されるケースがあることなど、文化的・倫理的配慮が必要であることなどを学びました。
例えば、十分な設備のない環境下での視力の確認方法として、「手でCを作り見えるか」→「指数が見られるか」→「前にいる人が見えるか」→「光が見えるか」という大まかな方法が紹介され、看護師も活用できると思いました。
「想像することは難しいけれど、もし自分だったらと考えて欲しい。」
技術や知識を学ぶだけではなく、参加者の一人が、シリアで紛争が起こった時の経験を語ってくれました。シリア最大の都市アレッポ出身の彼は、現在はドイツの病院の医師であり、ドイツ赤十字社の一員としても活動しています。紛争時は2年目の外科医として勤務する傍ら、シリア赤新月社のボランティア活動も行っていました。
医療施設は破壊され、身柄が拘束される危険性が高い経験豊富な医師は避難し、彼らのような若手の医師が限られた環境下で手術を行ったといいます。アレッポ市内は東西に分かれて占領されており人の行き来が制限される中、シリア赤新月社のみが東西の移動を許可され、スタッフは患者の搬送のために何度も往復しました。そのような状況について彼は「想像することは難しいけれど、もし自分だったらと考えて欲しい。」と話します。紛争の現実、人道とは何か、赤新月赤十字の意義を強く感じ、講師や参加者は静かに彼の話に耳を傾けていました。
社会に戻るための治療
迅速な治療を受けられていなかったり、不適切な治療を受けたりしたまま放置されていた患者が普段の生活に戻るための再建手術を行うのも戦傷外科で取り扱う仕事のひとつです。
適切な治療が受けられなかったために傷が残っている娘を持つ母親が、外見のために娘を外に出すのをが嫌がり学校にすら通わせていませんでした。しかし、適切な治療を受けた後は少女は学校に行くようになり、教育の機会を再び得ることができたという事例があります。
手術がうまくいっても、そのあとのリハビリを適切に行わないと合併症を引き起こす恐れもあります。
設備や人手などが満足には得られない状況であろうとも、患者さんのその後もその人らしい生活ができるよう治療をすることが重要なのです。
将来の派遣に備えて、日々の看護から
「世界には多くNGOや国連機関などの国際援助団体が活動している。しかし一度紛争が起こると自らの安全のためにほとんどの団体が退去する。その中で可能な限り活動を続けるのがICRCである。彼らの使命の一つに『逃げることの出来ないそこにいる人々の人道を守る』というのがあり、その使命のもとに、その場に留まっている。」と書かれた本を読み、自分もいつかICRCのスタッフとして活動をしたいと考えていました。
本研修に参加して戦傷外科の基本的知識のみならず、ICRCの活動全体についてより深く理解することが出来ました。特に、制限のある環境下でどう対応するか、その中でも「紛争下だから仕方ない」と言い訳をすることなく、ICRCとして質の高いケアを提供する義務がある、と言っていたのが印象的でした。
これまでに北イラクの病院で活動したことや、名古屋第二赤十字病院の戦傷・災害外傷セミナーに参加していたことが、今回の多岐に渡る研修の内容を理解することの大きな助けになりました。普段、日本での看護では関わることの少ない分野であるからこそ、War surgeryのテキストを読むなど定期的に自己学習を行うことの重要性を感じました。また、看護知識・技術の中で自分に足りない部分も明らかになり、将来の派遣に備えて赤十字の人材として貢献できるよう、日々の目の前の看護を大切にしていきたいと思います。
(本記事は勝占看護師の報告書を元にインターンの村越叡理那さんが執筆を担当しました。)