「核兵器廃絶に向けたユースアクションフォーラム(広島)」の開催
2019年7月、赤十字も実現に大きく関わった核兵器禁止条約が国連で採択されてから2年を迎えました。また、2019年は国際赤十字・赤新月社連盟の設立100周年の記念の年です。核兵器廃絶の議論をリードする国々や核実験被爆国の赤十字社12社の15人の赤十字ユースが、広島に集結し、7/1(月)〜7/3(水)にかけて「核兵器廃絶に向けたユースアクションフォーラム」を日本赤十字社の主催で開催しました。
被爆の実相を知った赤十字ユースたちは、核兵器廃絶に向けた強い思いを結集し、広島の地を後にしました。今回の赤十字ニュースは、本フォーラムのレポートです。
アクションフォーラムとは?
イベントのタイトルは、すばり「核兵器廃絶に向けたユースアクションフォーラム」です。これって会議?いえ、この「アクションフォーラム」には、広島での経験を通じて参加者たちのこれまでの考えに"変化"を起こし、核兵器のない世界を実現するために参加者一人一人が"小さな一歩"を踏み出してほしいという願いが込められています。
本アクションフォーラムでは、講義をただ行うのではなく、広島市内の史跡をめぐり、被爆者の体験談を聞き、また広島で活動する関連団体と交流することで自分たちに何ができるのか、活発な議論を交わしました。
原爆投下時、赤十字の看護学生として救護にあたった竹島さん
フォーラムの中で、特に印象的だったのは、原爆投下当時、赤十字の看護学生として救護にあたった竹島直枝さんの体験談でした。
竹島さんは、原爆投下直後、広島赤十字病院の掲げていた赤十字旗だけを頼りに、被爆した人々が次から次へと押し寄せてきたこと、自分のことを省みる余裕などなく、目の前の苦しんでいる人を救いたいという思いで、不眠不休で治療や看護を行ったと体験を語りました。
また、薬や医療器具も不足していて、油につけたガーゼを肌に当てるくらいしかできなかったと当時の様子を振り返りました。最後には、再び原子爆弾が投下され、同じ惨劇が繰り返されるべきではないと平和への思いを語りました。
体験談を聞き終えた南スーダンからの参加者は、「自身も負傷しながらも、救護活動に献身し、今も体験を語る竹島さんの姿に強く胸を打たれた。自分の国では、今も紛争が続いていて、平和への道はほど遠い。広島で学んだことを伝えていきたい」と思いを語りました。
3つの "C" ~地元ヒロシマの若者たちとの出会い
「Create(つくる), Connect(つなげる), Continue(つづける)」の3つの"C"をモットーとするソーシャルブックカフェ「ハチドリ舎」。ここに集う地元広島で核兵器の問題にいろいろな角度から取り組んでいる若者たちと赤十字ユースは交流を行いました。
被爆地広島の世界からイメージや実際に抱えている課題、例えば、核兵器の問題に対して、意見交換をする場がないこと、継続して問題意識を持ち続け、行動を起こしていくことの難しさ等を共有しました。
日本は唯一の被爆国でもありながら、なぜ核兵器禁止条約に署名していないのか、核兵器問題に対してどこを切り口にして行動を起こしていくことができるのか、など白熱した議論も展開されました。
小さな一歩を踏み出すために
フォーラムを通じて参加した赤十字ユースは最終日に、各々の思いを集約しました。また日本人参加者2人もフォーラム終了後に思いを語りました。ユースたちの声が、全世界に届くよう、日本赤十字社はこれからも核兵器のない世界を希求し続けていきます。
私たちは、国際赤十字・赤新月運動のユースメンバーの代表者として、被爆地広島を訪れ、被爆者の方々から証言を聞き、原爆のもたらした言葉では表現できない苦しみを、深く胸に刻みました。
被爆者の方々の勇気は、人道という名のもとに、核兵器が2度と使用されないように行動を起こすように私たちを奮い立たせます。次の世代へとつながる赤十字の代表として、私たちは早急に決意を固め、核兵器の廃絶に向けて行動していくことをここに宣言します。広島のメッセージを広め、核兵器のない世界を実現するために私たちの活動に参加してください。
大阪府の赤十字青年奉仕団 足立さん
フォーラムを通じて、私は核兵器の被害の影響を理解するとともに、海外からの参加者の核兵器廃絶に対すると気持ちと行動力に心を動かされました。核兵器は2度と使用されるべきではないと強く実感しました。
島根県の赤十字青年奉仕団 澤村さん
原爆が投下された当時、赤十字の看護学生だった方から、証言を聞きました。核兵器の脅威について知ることだけではなく、「赤十字」のマークにどれほどの重みがあるのかということも知ることができました。