- 写真(1、5枚目)・安田光優
- 文・田代わこ
ごく普通のわたしでもできています! アラサー女性のリアルな国際支援体験記
気候変動や紛争などのニュースを日々インターネットやテレビで見聞きするなかで、「国際支援」というワードを見たことがある人も多いはず。言葉は気になりつつも、あまり自分とは縁がない世界のようにも思いがちではないでしょうか。そこで今回、anan読者と同世代で、日本赤十字社のメンバーとしてタイで国際支援活動に従事していた木村仁美さんにインタビューを実施。アラサー女性が異国のタイで1年間支援活動をしたら、一体どうなったのか? リアルな仕事の悩みから、美容体験、恋バナまで、たっぷり語っていただきました!
わたしがタイに行く前。
――日本赤十字社に入社する前は、どんな学生生活を送っていましたか?
木村さん 日本赤十字広島看護大学に通っていたのですが、ごく普通の看護学生でした。看護大学に行くのも、友だちが行くと言ったので、じゃあ私もという感じでした(笑)。
――ちょっと意外です。国際支援活動をされているかたは特別な人、というイメージもありましたが、ふつうの女子学生と変わらないですね。
木村さん はい、すごくふつうでした(笑)。
――大学卒業後、赤十字の病院に就職された理由を教えていただけますか?
木村さん 最初は、看護大学を卒業したら、看護師の仕事だけする、と思っていました。でも、大学で赤十字の活動について学んでいるうちに、病院だけでなく各国の地域で働く機会もあることを知ったのです。それで、看護師という強みをもって、幅広い世界で働いてみたいと思うようになり、赤十字の病院に就職しました。
――今は海外で国際活動をされていますが、昔から外国との接点があったのですか? 海外旅行がお好きだったとか?
木村さん 海外旅行にはじめて行ったのは20歳の時で、行き先は韓国です。それも、友だちから誘われてついていっただけ(笑)。最近会ったかたがたは、私のことを自律して情熱がある人間と思われているかもしれませんが、昔はとても流動的でした。
――いつから、流動的ではなくなったのですか?
木村さん ターニングポイントは、大学4年の時に行ったアメリカ演習です。アメリカの看護学生は考え方がしっかりしていて、すごく刺激を受けました。将来の目標や人生のキャリアについて尋ねられたとき、その年頃に未来のキャリア設計が自分にはなかったことに気付き、考え方の違いに感銘を受けました。自分は何がしたいのか、何に貢献できるのか。自分のキャリアについて、考えるようになりました。その後、病院に就職して看護師として一人前になったあと、仕事を辞めてオーストラリアに行きました。
――なぜ、オーストラリアに?
木村さん 英語を向上させたかったという思いと、海外で働いてみたいという思いがあったので、ワーキングホリデーに行きました。看護に関わることをしたかったので、オーストラリアでアシスタントナースとして1年間働き、その後日本に帰り、また看護師の仕事に戻ったのです。
わたしがタイに行ってから。
――国際赤十字・赤新月社連盟(連盟)のバンコク事務所に出向されたのはいつ、どんなきっかけで行くことになったのですか?
木村さん タイでは、2022年4月から2023年10月まで働いていました。日本赤十字社が連盟バンコク事務所の保健要員を募集していたので、応募したのがきっかけです。
――なぜ、タイで働きたいと思われたのですか?
木村さん 東南アジアは自分にとって未知なところがあり、もっと知りたいという思いがありました。また、他国の医療や保健について、学生時代から興味もあったんです。タイは割と安全と聞いていたので、1年間以上も赴任期間がありましたが、挑戦してみたいと思ったのです。
――バンコク事務所での活動内容について、教えていただけますか?
木村さん 国際赤十字・赤新月社連盟のバンコク事務所は、東南アジアの4か国、タイ・カンボジア・ラオス・ベトナムを担当しています。それぞれの国に赤十字社があり、各社の保健や衛生について支援をするプロジェクトのマネジメントをしています。具体的には、救急法や応急手当、血液事業、感染予防、高齢者ケア、移民難民に対する健康ケアなどの支援です。実際に、現地で展開するのは各国の赤十字社なので、支援を押しつけるのではなく、彼らが自発的に持続的に動けるように調整し、サポートしています。
――バンコク事務所での活動を通して、学ばれたことは何かありましたか?
木村さん タイと日本は、少し似ているところがあり、必ず目上のかたを敬います。1歳でも年が違うと呼びかたが違うので、現地のかたがたは年齢をすごく気にされています。文化や背景の違いで、コミュニケーションの仕方も違うと思うので、タイだけでなく、ラオスやカンボジア、ベトナムでも文化的背景などを念頭に置きながらコミュニケーションしています。
――では、タイで1年以上働かれて、ご自身で変わったことはありましたか?
木村さん タイに来るまでは、看護師としてほとんど病院で働いていたのですが、タイでは9割以上がオフィスワークでした。なので、ミーティング開催のやりかたやエクセルの使いかた、ライティングスキルや社会人マナーも学びました。日本社会でのマナーはわからないですが、国際組織で働くにあたっての仕事やマナーは、スキルとして身につけることができました。あとは、コミュニケーションのとりかたも、以前よりは上達したかなと思います。
わたしがタイで出会った2つのストレス解決法
――バンコク事務所で活動をされるなかで、挫折されたことなどはありましたか?
木村さん 海外派遣は2回目で、前回はバングラデシュで半年活動していました。そのときは、ほかに日本人のかたがいたのですが、タイでは日本人は私だけでした。オフィスで日本語を話せる人が誰もいなくて、さらに私と同じポジションの仕事をしている人がいなかったので、かなりのチャレンジでした。スタッフとは英語で話しますが、日本人同士ならあうんの呼吸でわかる小さなニュアンスが伝わらず、ちょっとしたことを相談したくても自分ひとりしかいない。そんななかで、責任をもってやり遂げなければならない状況でした。
――大変なとき、どうやって乗り越えられたのですか?
木村さん もちろん泣くような日々もありました。でも、それでは解決しないので、仕事の課題を解決するためには、上司やチームメンバーに相談して、ヒントやアドバイスをもらって解決の糸口を見つけ、仕事をしていきました。エモーショナルな部分の解決は、同僚とご飯に行って話を聴いてもらったり、毎晩夫と電話したりして、ストレスマネジメントしていました。
――ご家族と遠距離生活をされていたのですか? anan的にはその辺りもお聞きしてみたいです(笑)。
木村さん 夫は、日本に住んでいます。実は、派遣中に結婚したんです。彼はマレーシア人で、マレーシアで学校を卒業してから日本で働いています。日本語もペラペラです。毎日電話をしていて、たまに私が東南アジアで、ちょっとイラッとしたことなどを彼に話すと、「そんなもんだよ」と諭されます(笑)。私の場合は、プライベートで支えてくれる人がいないとストレスマネジメントはできないです。彼のお陰で、仕事のモチベーションも維持できています。
――いいお話ですね。仕事がない日は、どんなふうに過ごされていましたか?
木村さん 心身ともにリラックスするために、美容皮膚科やタイマッサージに行っていました。タイは、すごく美容意識が高いのです。日本で高額な施術でも、タイなら半額でできたりするんですよ。私は、今まで病院勤めでしたので、例えばまつエクや茶髪、ネイル、アクセサリーもダメでした。でも、タイではオフィスワークなので、ここぞとばかりにネイルしたり、まつエクバサバサつけたりしていました(笑)。
――いいですね(笑)。お気に入りのお店とかも見つけられたのですか?
木村さん はい(笑)。タイマッサージは2、3週間に1回行っていて、いろいろなコースを試しました。10回分の回数券も買いました(笑)。私が通うお店は施術者がみなさん上手で、しかも高くないのでお気に入りです。あと、タイは日差しが強いので日焼け止めを塗っているのですが、それでもシミが気になったので、週末は美容皮膚科でフェイシャルトリートメントをしていました。
――国際支援活動をされていても、ふつうのアラサー女性と同じですね!
木村さん はい、ふつうです(笑)。
――では、将来の夢なども聞かせていただけますか?
木村さん 国際関係の仕事には、引き続き携わっていきたいと思っています。海外派遣では、自分は体ひとつで来ていますが、現地のかたがたは家族と暮らされていて、家族を大切にしているかたが多いので、単身で働いていると、少ししんみりすることもあります。ですから、仕事だけでなく、家族との時間も大切にしたいと思っています。
――木村さんを海外に送り出してくれたパートナーも素敵ですね。
木村さん はい、喜んで送り出してくれたので、安心してこの仕事が続けられています。国際支援活動をしたくても、家族の理解がないと派遣に行くことはできません。また、両親が元気でいてくれるのもありがたいです。もし寝たきりになったりすると、前向きな気持ちで派遣に行けなくなるかもしれないので、今できるうちに全力でこの仕事に取り組んでいるところです。
――最後に、アラサー女性が「国際支援」、「海外たすけあい」と聞いても、自分事化しにくい部分もあります。より身近に感じるためには、どうすればいいと思いますか?
木村さん 今はスマホで、インスタやYouTubeなどのSNSやサイトから、たくさんの情報が自由にとれる状況です。まず、自分で気になるニュースを見つけて、何ができるかな、と思ってみてほしいです。例えば戦争なら、なぜ戦いがはじまったのか、何が問題で、日本にはどんな影響があるのか、気になったらどんどん深掘りできます。誰かに押しつけられて支援したとしても続かないので、自分が人のために何ができるのかな、と自分で考えることが大切かなと思います。
――貴重なお話をありがとうございました!
【お話を伺ったかた】
大森赤十字病院 看護師 木村仁美さん
静岡県浜松市生まれ。日本赤十字広島看護大学卒業後、浜松赤十字病院や和歌山県立医科大学病院 、(株)オリエンタルランドなどでの勤務を経て、2022年4月から2023年10月まで国際赤十字赤新月社連盟バンコク事務所に保健要員として従事。