健康調査支援事業最後の訪問~浪江町民健康調査
日本赤十字社は福島県いわき市で、福島第一原子力発電所の事故によって避難している浪江町民の健康調査と健康支援活動を続けています。
高槻赤十字病院(大阪府高槻市)の吉田奈々子看護師が2017年1月10日~2月3日、活動に取り組みました。以下は吉田奈々子看護師から寄せられた活動報告です。
避難生活が及ぼす影響と復興
このたび、東日本大震災の影響でいわき市に避難している浪江町民の健康調査支援事業に参加させていただいた。参加するまでは、表面化している問題しか把握しておらず、理解も漠然としていた。しかし、実際に被災された方の生の声を聞かせていただくことができ、町民が抱える問題、本事業の意味をよく理解することができた。
震災から5年が経とうとしているため、調査した方々の殆どが新しい生活を安定して送れていると話され、震災の影響が身体面に出ているという事例はほとんどなかった。新しい地で生活する覚悟を持ち、新しい人間関係、新しい習慣を習得しながら安定した生活を送っているように見え、「落ち着いたといえば落ち着きました」と話される方が多くいた。しかし、その言葉の根底には、馴染みある地域に戻れないという、変えようがなく受け止めざるを得ない現実があり、気持ちをなんとか前向きに踏ん張って生きているということがひしひしと伝わってきた。
90歳独居の女性A氏から"安定した生活"があっても"心の安定"が必要ということを教わった。A氏は浪江に嫁ぎ、決して裕福ではなかったが、夫とともに一生懸命働き、家を守り家族を守り幸せな生活を送ってきた。夫を早くに亡くし独居となるが、馴染みある地で周囲の人との関わりを大事にしながら生活してきた。もちろんその地で生涯を全うするものだと思っていたことだろう。しかし原発事故で避難生活を余儀なくされ、各地を転々とし最終的にいわき市に落ち着き、時折訪れる息子に協力を得てなんとか独居生活を送っている。端からみると、住宅街にある新築の家で、快適な生活を送れているようにも見えるが、浪江にいたときのような近所の付き合いもなくほとんどの時間を1人で過ごす。A氏は「1人でテレビを見ているときでも、ふと色々考えたりして涙がでるよ。周りに知っている人もいないし・・・眠る前にも色々考えたりすると眠れないこともある」とポツリとこぼされた。その言葉だけで、この震災、原発事故、避難生活が人びとに及ぼしている影響がいかに重いものかということを実感した。
また、本年3月末には避難指示が解除される予定の地域があるが、その対象となる方々は「"帰りたい"という気持ちと"帰れる"のは違う。住むことが出来ても、安心・安定した生活は送れる状態ではない。みんなで帰らないと意味がない。」とライフラインや役場等の機能が整わなければいけないし、周囲のひとも含めて初めて生活する意味があると口を揃えて言われていた。訪問や電話調査を通して、決して気持ちよく語れる話ではないのに、悲惨な経験を沢山の方が多く語ってくださった。実際に被災していない立場の人間がどんな言葉をかけても薄っぺらく聞こえるのではないかと思ってしまい、ただ聞く事しかできなかった、何も言葉を返せなかったと落ち込むこともあったが、傾聴することが本事業の役割だと思い返し、"聴いている"ということが少しでも伝わり、ほんの少しでも心が軽くなる方がいたら本事業の意味が深まると感じた。そして、本事業がこのような状況の町民を継続的にフォローすることがとても意義のあることだと考える。
ママサロンの見学・参加は1度しかできなかったが、継続してきたからこその良い雰囲気であると感じた。
集まってはお子さんのことで悩んでいることなどを話し合ったりと、世間ではごく普通のことかもしれないが、まだ手のかかるお子さんを抱えながら被災、避難したり、新しい地で出産、子育てをしたりと同じ試練を乗り越えたお母さん方である。そのためか、強い心が培われているように感じ、またお互いに安心しきった関係と見受けられ、肩の力を抜いてやわらかな表情で交流しておられた。
多くの語りから、潜在化している問題などを知り、その上で聴く事が出来てきた時期に帰任となってしまうことはとても残念だが、とても貴重な体験ができた。
まだまだ本当の復興には長い年数がかかることが明らかで、風化しつつある問題を忘れないようにしていきたいし、周囲に伝えていきたいと感じた。
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