13/11/01
日本赤十字社は、いわき市に避難する浪江町民を対象にした健康調査を町の依頼を受けて2012年10月から始めています。全国の赤十字病院から派遣された看護師と日本赤十字看護大学から派遣される保健師がペアを組み、いわき市内の借り上げ住宅などに暮らす浪江町民宅を訪問。訪問時には日々の生活で気になること、睡眠や体調の変化など、一人ひとりに寄り添いながら話を聞き、浪江町の保健所へ引き継ぎます。
調査に関わってきた看護大の相原綾子保健師は「ストレスによる不眠や運動不足による体重増加・体力低下、心身衰弱などの症状が多く見られ、高齢者の中には介護度が上がってしまう人も。その面倒をみる家族の負担が増えるなどの問題も起きています」と話します。
相原さんに同行し、深野芳子さん・利子さん親子のお宅を訪ねました。芳子さんは、いわき市に避難してから動く機会が減り、膝も痛むようになったと訴えます。「浪江にいたころは、畑仕事をして、近所の人とお茶を飲みに集まっていたけど、いまは近所付き合いもない。そうした当然の日常がなくなってしまったことがいちばん辛いことですね」
もちろん高齢者やその家族だけでなく、子育て世代、比較的若い世代も多くの悩みを抱えています。
「子育てをしている若いお母さんの中には、『公園に出かけていくのが怖い』と新たなコミュニティーに溶け込めない方が目立ちます。子どもたちの中にも、不登校に陥るなど精神的に傷ついているケースが見られます」と相原さんは浪江町民の現状を説明しました。
(写真:犬の散歩や庭の手入れなどで体を動かすようにしているという芳子さん(右))
心から喜べる日を一日も早く
浪江町から避難し、矢吹町の仮設住宅に暮らす山田テルさんと綾子さんの親子の元も訪ねました。二人には、震災から1年後に取材して以来、1年半ぶりの再会です。
「自宅にいた頃は、味噌や漬け物なども手作りしていたから、味噌が切れてしまうことなんてなかったのに。この前、(市販の)味噌が切れてしまって。『ああ、避難生活なんだな』と実感しました」と語る二人。テルさんは、農作業や外出の機会が減り、また将来への不安から不眠を訴えることもあったそうです。
「こうして仮設住宅で暮らせているのも、(日赤からの家電セットなど)みなさんからの支援のおかげ。これでも十分なのですが、やはり母のことを思うと…」と綾子さん。年内には、現在の仮設住宅から車で5分ほど離れた場所に購入した一戸建ての住宅に引っ越しをする予定だといいます。新しい家には庭もあり、テルさんは土に触れ、庭仕事できることを喜んでいました。
「私たちは仮設住宅を出る目途が立ちましたが、先の見通しが立たない人も大勢います。そのことを考えると心からは喜べません。一日も早く、みんなが安心した生活ができるようになってほしいと願っています」と綾子さんは語りました。
(写真:1年前から綾子さん(右)は飲食店で勤務。日中一人になるテルさん(左)は、「まけないぞう」というタオル人形を制作。「まけないぞう」は栃木県のNPO団体のプロジェクトで、タオルの売上の一部は製作者の収入となるほか、被災者支援活動に使われます)
「終わらない復興への道 あれから2年半」はシリーズでお伝えしています
<<終わらない復興への道 あれから2年半―宮城県を訪ねて(その1)
<<終わらない復興への道 あれから2年半―岩手県を訪ねて(その2)
<<終わらない復興への道 あれから2年半―福島県を訪ねて(その4)