「決壊」、そして最弱者が取り残された 〈令和元年台風第19号災害〉日赤救護班活動記録

千曲川の氾濫で、高齢者医療介護施設の1階が水没。 自力避難できない要介護の高齢者278人と施設職員が、電気・水道のライフラインが止まった施設内に取り残されました。 日本赤十字社 救護班員は厳しい条件の中、10月14日から3日間、昼は救助・搬送、夜は泊まり込みで見守りを続けました。

医師・看護師・薬剤師・事務職が力を合わせ、入居者の安全を最優先に搬送した

水没・停電で機能停止した施設。 自力避難できない高齢者278人を一刻も早く安全に救い出すために

搬送を待つ間「あと少しの辛抱だよ」と介護職員に励まされる入居者

10月13日早朝、千曲川から氾濫した水は、川から3キロ離れた高齢者医療介護施設「豊 野清風園」に到達し、1階部分を水没させました。当時、施設にいた278人の高齢者と介護職員は3階より上に避難して全員無事でしたが、医療を必要とする急性期の患者も多数おり、停電・断水した施設から一刻も早く安全な場所に移動させる必要がありました。

「救える命を確実に救いたい」

救急車で待ち受ける看護師。迅速に一人でも多く搬送したい

泥まみれとなった劣悪な環境のなか、入居者たちの体力も3日目には限界にさしかかっていました。救護班員の一人は、「救える命を確実に救う、そのために最後まで諦めずに最善を尽くしたい」と語りました。

全国の支援が被災地へ

【福島】要介護の夫と共にボートで救出された女性。避難所で救護班の診察を受けほっとした様子

日赤は避難所を中心に救援物資を配布した他、21支部33病院から救護班を派遣し、被災地域の方々の安全と健康を守る活動を行いました。

【長野】泥清掃のボランティアに申し訳ないと一緒に働いて腰を痛めた避難者に「無理しないで」と救護員

〇21支部33病院から医療救護班・こころのケア班を派遣【日赤支部(病院名)→派遣先】/10月28日現在
北海道支部(1.旭川)→宮城県 青森県支部(2.八戸)→宮城県 岩手県支部(3.盛岡)→宮城県 宮城県支部(4.仙台、5.石巻)→県内 秋田県支部(6.秋田)→宮城県 山形県支部(7.北村山公立病院*、8.米沢市立病院*)→宮城県、福島県 福島県支部(9.福島)→県内 茨城県支部(10.水戸、11.古河)→県内 栃木県支部(12.那須、13.足利)→県内 群馬県支部(14.前橋)→福島県 埼玉県支部(15.さいたま、16.小川、17.深谷)→県内 千葉県支部(18.成田)→県内 神奈川県支部(19.相模原)→福島県 新潟県支部(20.長岡)→長野県、福島県 富山県支部(21.富山)→長野県 石川県支部(22.金沢)→長野県 福井県支部(23.福井)→長野県 長野県支部(24.長野、25.諏訪、26.安曇野、27.下伊那、28.飯山)→県内 岐阜県支部(29.高山)→長野県 静岡県支部(30.静岡、31.浜松)→県内 愛知県支部(32.名古屋第一、33.名古屋第二)→長野県
*7、8:山形県内に赤十字病院がないため、協定を結んでいる県内病院に派遣を依頼

【宮城】備蓄倉庫から救援物資の運び出しをする宮城県支部職員。日赤各都道府県支部では物資を備蓄している

【配布した救援物資】
● 緊急セット 3171セット
● 安眠セット 2268セット
● 毛布 1万6050枚 ほか
【派遣した日赤医療救護班】
● 日赤医療救護班
約810人135班
※1つの救護班:6人(医師1人、看護師3人、主事2人)を標準とした場合の概算
※日赤DMATとして活動した日赤チームを含む累計
(10月28日現在)

「力になりたい」赤十字奉仕団も活動

発災直後から各地で活動を開始した赤十字ボランティア。

長野県では約150人が身を寄せた避難所で長野市赤十字奉仕団が活動。食事の配布、清掃など、避難所の生活をサポートし、被災者の心に寄り添う活動を続けました。

群馬県では台風が去った10月13日、赤十字飛行隊群馬支隊とそのサポートを行う飛行隊支援奉仕団が出動、無線赤十字奉仕団と連携して上空から被害状況の調査を行いました。

宮城県の丸森町では、防災ボランティアが救援物資の配送や、宮城県医師会が手配した段ボールベッドの組み立てなどを、日赤職員と協力して行いました。