万博と赤十字 vol.1 「1867年パリ万博」
2025年4月に開幕する大阪・関西万博には、赤十字の理念を伝える「国際赤十字・赤新月運動」のパビリオンも出展されます。本連載では万博と赤十字の150年以上にわたる関係をひもときます。
1867年パリ万博
日赤創設者・佐野常民が
受けた衝撃とは
日本赤十字社の誕生は、創設者である佐野常民が、1867年のパリ万国博覧会を訪れたことがきっかけでした。
現在のシャン・ド・マルス公園の広大な敷地に広がる「第2回パリ万国博覧会」の会場には、幕府と共に出展した佐賀藩の藩士である佐野の姿が。
この万博には、1863年に発足したばかりの赤十字も出展。医療器具や救急搬送用の馬車の他、ジュネーブ条約が紹介されていました。
佐野は「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である」と敵味方の区別なく救うという理念に衝撃を受けます。日本の近代化を目指す一人として、革新的な人道の考え方に感動したのです。
国際赤十字は「守るべき命と尊厳」の価値を発信し、第2回パリ万国博覧会のグランプリを受賞。その後、佐野は明治政府の代表として1873年のウィーン万博にも派遣され、その経験を通じて日本の赤十字社設立への思いをより強くしていきます。
1877年、西南戦争で敵味方の区別なく戦場の負傷兵を救護するために、佐野は征討総督 有栖川宮熾仁親王に嘆願し、日赤の前身である博愛社の設立にこぎつけます。
1882年の博愛社の社員総会で佐野は次の主旨を述べました。
「文明開化といえば、人はみな法律ができること、精密な機械ができることなどと言うが、私はそれだけだとは思わない。赤十字のような活動が盛んになることをもって、文明開化の証しとしたい」
万博によって世界に触れ、開明的な視点を得た佐野が、「人道」を重んじる真の近代化への一歩を日赤と共に歩み始めた瞬間でした。