万博と赤十字 vol.2 「1970年大阪万博」 2025年4月に開幕する大阪・関西万博には、赤十字の理念を伝える「国際赤十字・赤新月運動」のパビリオンも出展されます。本連載では万博と赤十字の150年以上にわたる関係をひもときます。
万博会場で称賛を浴びた
赤十字の活躍
1970年に日本で初めて行われた大阪万博では、日赤の力が大いに発揮されました。開催地の大阪赤十字病院から医師や看護師を派遣し、会場の診療所内に日赤の救護本部を設置して、2台のドクターカーを配備。救急の一報が入ると医師らはドクターカーに乗って現場に急行。大阪府赤十字血液センターは万が一に備えて各血液型の保存血液を会場に常置しました。連日、20万人以上が訪れる会場ではケガ人も多く、「動く歩道」で発生した40人余りが負傷する事故、集団感染など、さまざまなトラブルが発生。赤十字の旗を掲げたドクターカーが走り回ってその処置や搬送にあたり、医師や看護師が迅速に治療をする姿は、国を挙げて開催された国際イベントの中で、赤十字の使命を体現するものでした。
また、海外からの来場者をサポートするべく、日赤大阪府支部は万博の約2年前から、通訳奉仕者の養成を開始。大阪府支部内に教室を設け、外国人講師を招いた定期的な講習により約300人の通訳奉仕者が誕生しました。その中から特に優秀な150人の通訳奉仕者が万博に派遣され、各国のイベントにおける通訳や外国人来場者の案内を務め、多くの人から感謝されたそうです。この通訳奉仕者たちは、後に「大阪府支部語学奉仕団」となり、その後50年にわたって活動が続けられました(コロナ禍を経て活動終了)。
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