ウクライナ:紛争避難者のこころの安定のために
チェルノブイリ原子力発電所の事故から30年を迎えたウクライナ。広大な地域が放射能汚染を受け、多くの人が被災しました。赤十字は被災者に寄り添い続け、これまで甲状腺や乳がんの検査、免疫力を高めるための総合ビタミン剤の配布、こころのケアなど多岐にわたる支援を行ってきましたが、未だに多くの人が故郷に帰れない状況が続いています。
現在、ウクライナではこの事故だけではなく、東部での紛争の影響を受けた150万人以上の人々が国内各地で避難生活を送っています。
その発端となったのが、2014年2月に首都キエフの独立広場での衝突です。その後、ロシア系住民が多数を占める東部のドネツク州やルハンスク州を中心に、政府軍と親ロシア派勢力との間の武力衝突が激化しました。このように、情勢が不安定となっているウクライナで赤十字は新たな国内避難民の支援を行っています。その一つは、2015年より日本政府から22万米ドル(※約2400万円)の支援を受け実施している、女性と子どもに対するこころのケアです。
お母さんと子どもたちのための安心サポートルーム
ウクライナは東西で社会、文化、言語的背景が異なり、避難先での孤立化が懸念されているため、避難を余儀なくされたお母さんと子どもたちが安心して過ごすことができる交流の拠点を赤十字は提供しています。放課後や週末あるいは学校がない長期休暇を中心に、料理、粘土、サンドアート、季節のイベントにちなんだ教室が開かれます。これらの教室は、ボランティアが企画、運営をしているこころのケアの活動で、地域による独自性が表れています。地元の大学の心理学部と提携している地域もあり、学生が授業の合間にボランティアとして活動に協力しています。行政からの支援も非常に限られ厳しい生活を続けている家族のために、地元のプールや映画館、動物園、美術館や博物館への遠足などもボランティアによって企画されています。また、心理士は同じ境遇にいる母親のためにピアサポートグループを作り、ざっくばらんに自分の抱えている悩みを話せる場を作っています。
苦しい生活の中で安心できる一時
今回、日本赤十字社から職員がウクライナを訪れ、ルハンスクの国立大学で講師をしていたオルガさんという40代の女性に出会い、お話を聞きました。「2014年8月末に自宅のガスや電気が止まりました。首都のキエフに住んでいる友人が呼びよせてくれ、すぐに両親と当時7歳の娘とともに逃げてきました。友人家族も温かく迎え入れてくれ、しばらく居候していました。今はアパートを借り、英語の教師や通訳の仕事をしていますが、生活は苦しいです。文房具や洋服など娘が必要なものを優先して買い物をし、私は安い古着を買っていますが、女性として口紅くらい買いたいと思うときもあります」。
ウクライナの公用語はウクライナ語ですが、東に行く程、ロシア語が使われる頻度が高くなります。ロシア語が母語のオルガさんの娘も、これまでロシア語で学校の授業を受けてきました。キエフに来てからはウクライナ語で勉強をしていますが、慣れない環境に神経質になっていたそうです。「最近は、学校の帰りに娘と週に1~2回ほど来ています。ここでは他の子どもたちと自由に遊ぶことができるおかげで、娘は以前のように積極的になり、笑うことも増えました。娘が遊んでいる間、私自身も同じ境遇にいる他のお母さんとお茶をしながらお喋りを楽しんでいます。私たちの避難生活を支えてくれている日本や赤十字にとても感謝しています。今後は、私もボランティアとして同じ境遇にいる人と支え合えていけたらいいなと考えています」と力強く語りました。
日本の支援が前向きに生きる原動力に
現地の担当者は、「海外からの支援の多くは紛争地域に住む人びとを対象としていますが、日本の支援は紛争地域から逃れてきた人びとのためであることに価値があります。日本の皆さんに大変感謝しています」と語ります。ウクライナの多くの人は日本人と同様に真面目で熱心に支援に取り組んでいます。その想いは支援を受けている避難者にも確実に伝わり、彼ら自身も同じ境遇にいる人たちと助け合いながら前向きに生きています。今年は日本政府から44万米ドル(約4900万円)の資金援助を得て、母子だけではなく東部での戦闘地域から戻ってきた兵士とその家族にも支援の手を広げていきます。避難している人びとのこころの安定だけではなく、避難先の地元コミュニティに溶け込むこめるような支援をこれからも続けていきます。