南スーダンで考えた「人道」の意味
2011年に独立し、世界で最も新しい国である、南スーダンでは2013年12月に戦闘が勃発して以来、不安定な情勢が続いています。繰り返される暴力と生活基盤の破壊に伴い、総人口1200万人のうち、3人に1人が住むところを追われ、2人に1人が深刻な飢餓に陥り食料支援を必要としています。戦闘の激化により、今年半年で赤十字国際委員会(ICRC)が受け入れた患者件数は既に昨年一年間の総件数を上回っています。
中立・公平な立場による赤十字の人道的任務への理解を求めながら政府軍、反体制派と等しく対話し、食料、水、医療など現地の人々のニーズに応対している現場を、本社国際部の担当職員がレポートします。
先行き不透明な中で続く支援
8月、首都ジュバの空港に降り立つと沢山の赤十字や国連の輸送機が目についた。4月頃から約半年続く雨季の真っただ中。日本の国土の約1.7倍はあるが、道路や公共交通機関が十分に整備されていないため、天候や治安情勢に応じて、スタッフの国内移動や必要な資機材の輸送は飛行機が使われる。しかし、舗装された滑走路もない地域では、着陸は困難を極める。活動に必要な物資はジュバからの輸送だけが頼りのため、何日も物資が届かず、足りなくなりそうになる時もあるという。遠隔地では支援物資を空中投下し、南スーダン赤十字社のボランティアが回収、配付する。
建設途中の空港の横にあるコンテナハウスで入国審査を終え、テントの下で出国を待つ人々を横目で見ながら、空港を後にした。街中も赤十字、国連やNGOのロゴを付けた車両で溢れていた。ICRCは今年、シリアに次ぐ第二の予算規模(約143億円)で活動を展開しており、日本赤十字社も1,000万円の資金援助を行っている。独立以降、紛争犠牲者支援に携わった日赤医療要員はのべ15人にのぼる。
繰り返される病院の撤収と立ち上げ
ジュバから北西約500キロにあるワウは、同国西部での活動の拠点となっている。空港から町の中心部を横断する舗装された道を四輪駆動車を5分程走らせると、徐々に人の往来が増えていく。朝は沢山の子どもが学校に歩いて行き、夕方にはスタジアムでサッカーの試合が行われている。一見、平和に感じられるが、それは一部の地域だけだという。4月の衝突では多くの人が町の南部や南西部の農村から避難を余儀なくされ、未だに数万人が空港に隣接するキャンプや周辺地域に身を寄せている。
ワウには教育病院があり、その一角で赤十字は活動している。赤十字によって改修されたきれいな手術室に運び込まれるのはほとんどが、銃で撃たれた20~30代の男性。外科医や麻酔科医、手術室看護師などによって構成される赤十字の外科チームが手術を行う。この病院を支援する前は、患者をジュバに搬送しなければならず、治療が遅れることで、悪影響を及ぼしかねない状況だったが、現在は必要な治療を行うと同時に、現地職員や学生の能力強化にも取り組んでいる。
ICRCが支援するワウ教育病院とジュバにある軍病院は政府勢力下にある。一方、対抗勢力のもとでも、同じように2つの病院を支援することで「中立」の立場を維持している。今年7月から約3カ月間、外科チームの麻酔科医として活動した大塚尚実医師(熊本赤十字病院)は、4つの病院で約140件の手術に携わった。どんなにひどい怪我をしていても、陽気で力強い生命力を患者さんに感じたという。活動した病院の一つでは、立ち上げにも携わった。戦闘の前線の移動により、病院の撤収を迫られると、ICRCは活動ができる病院を別の地域で探すのだ。今年7月、同国北東部のマイウートで支援していた病院から退避を余儀なくされ、患者を移動させ、持てるだけの荷物を持って2カ月ほど一時的に約300キロ離れた地域に避難しながらICRCは活動を継続していた。天候に左右され、計画通りに進めることは決して簡単ではなかったが、9月には新たな病院が見つかった。そこでの手術室の設置と、一時的な避難先から移動してくる患者や資機材の受け入れを行ったのだ。
なぜ赤十字は支援を続けるのか
南スーダンで続く紛争の解決には未だ明るい兆しが見えない。7月に撤収に追い込まれた上述の病院の再開の目途も立っていない。しかし、戦闘が激化する直前には、紛争当事者からICRCに連絡が入り、退避を促されるという。スーダンからの独立を求めた紛争以来、当時まだスーダン南部と言われていた頃から30年以上にわたって赤十字は活動してきた。紛争当事者の中には、紛争中に負った怪我の治療を赤十字から受け、戦地に戻っている者もいるという。赤十字の活動が「人道」のためであり「公平」「中立」「独立」の立場で行われていることを彼らがよく理解し、受け入れてくれているからこそ、事前の退避勧告という行為を可能にしているのだ。今年5月から9月までジュバを拠点とし、外科チームの手術室看護師として国内各地を飛び回った朝倉看護師(武蔵野赤十字病院)は活動中「常に葛藤した」という。「見方によっては、兵士を生み出していると見えてしまう。しかし、赤十字創設者アンリー・デュナンの言葉にもあるように「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である」し、目の前で苦しんでいる人を助けることが、私が南スーダンに派遣された意味だと思いながら活動に取り組んでいた」と語る。
訪問中、「人道」の理想と現実の溝を垣間見、その意味を考えさせられた。答えは簡単には出ないが、現地の人々や世界各国から集う支援者と対話する中で、人間の命や健康というのは国籍や宗教、民族などを越えて支えられているものであること、だからこそ、それを途切れさせてはいけないということを改めて認識する訪問となった。