「どこまでお役に立っているのだろうか?」活動中はいつも考えています ~被災地で活躍する日赤防災ボランティア~

石川県能登地方を震源とする地震から1か月が経ちました。日赤防災ボランティアとして数々の被災地で活動した経験がある北村裕一さんは、最大震度6強を観測した珠洲市に発災直後から入り、災害ボランティアセンターにて、被災者のニーズと県内各地から集まるボランティアをマッチングする支援の調整役としての活動を現在も続けています。週1回程度、車で2時間以上かけご自宅のある金沢市に戻り、日本赤十字社石川県支部へも立ち寄っている北村さんに、お話を伺いました。

地震の被害と水害で異なる被災者のニーズ

昨年も大雨災害に見舞われた石川県。北村さんは、その時の経験に比べて被災者のニーズを把握することに苦労していると言います。水害の場合、ボランティアの方々の力を借りて家具の片付づけ、畳上げ、泥かき、水拭きといった作業が一気に進むケースが多いのですが、今回は地震により、高齢の方が一人で暮らす大きな家が被害にあい、住家を対象とする罹災申請手続きに、納屋や倉庫などが活動中に追加されたことや、また、週末には子供たちが来て片付けを手伝う等の予定もあり、被災者の方がどこをどのようにボランティアの方々の力を借りて片付けたいのかの意向が変わることがあるそうです。

また、災害廃棄物を集積場に運ぶ軽トラックの不足、ボランティアの方に分別をお願いしてもなかなか進まなかったりと、活動を実施するうえでの難しさもあります。被災した奥能登地域では、年に1回のお祭りを大切にする文化があり、お祭り道具の御膳セットや遠方から来る人を泊めるためのたくさんの布団、地震の後雨が降ったため濡れてしまった高価な着物など、大切な物が災害廃棄物となってしまったそうです。

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ボランティアセンター立上げ時の様子
運営スタッフの役割分担、センター内のレイアウトなどを指示しています

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ボランティアセンターでの受付の様子
受付ではボランティア活動をする方へ活動先での注意事項などを伝えます

人道・中立・公平を心に携えて

1日の活動を終え、「誰も怪我をせず、熱中症にもならず今日も終えられたな」とホッとする一方で、被災者の方は「もう地震は来ないで欲しい、いつまた来るのではないか」という不安を抱えていることが良く分かるため、その不安に対しては、ボランティアとしてどこまで自分の活動がお役に立てるのかと感じると話す北村さん。被災者の様々な想いや被災地の状況を聞き、考えるときには、赤十字と関わるきっかけとなった救急法の講習で、一番初めに学んだ「人道・中立・公平」の理念を現場で体現するよう心掛けているとのことです。

ボランティアセンターでは珠洲市、社会福祉協議会、NPO団体等、様々な方が活動する中、ボランティアとして被災者の声を聴き、必要な支援につながるように動くことが北村さんの役割です。これまでに石川県が主催する災害支援コーディネーター研修の講師として参加した経緯などから、多方面にお知り合いが居るため、県内の災害はボランティアセンターの運営側として、県外の災害はボランティアとして作業に参加する役割で駆けつけています。昨年の大雨災害時には、日ごろ救急法の講師として訪問している県内の中学校・高校の生徒さんと偶然被災地で出会い、先生方が「北村さんがいるなら」と安心して多くの生徒さんをボランティア活動に参加させてくれたということもありました。

日本赤十字社石川県支部事業推進課の富樫課長は「災害時は被災地からの情報が入りにくいので、支部と密に連絡を取り合い、自ら動いて情報を取りに行ってくれる北村さんはとてもありがたい存在です。長年にわたり支部の活動に関わって下さっている北村さんからは、他のボランティアの方がどうしたら活動をやりやすくなるかなどを教えてもらうことも多く、お互いに役割を認め合って情報を共有しています」と話します。このように北村さんは、人道という赤十字の理念を共有しながら、今後も支援の輪が広がっていくことを願い、これからも珠洲市へ通い、支援を続けるとのことでした。



北村裕一さん(63歳)

20230616-af8270ab3ecc3750a5a084c0735ff0b8896e3ffd.png赤十字の救急法の講習を受けたことをきっかけに、2000年に指導員となり県内各地で救急法の普及に携わる。
阪神淡路大震災(95年)、ナホトカ号重油流失事故(97年)、などで支部の活動をサポートするために会社勤めの傍ら被災現場に向かう経験を積むうちに、防災ボランティアがライフワークとなる。
2007年に防災功労者防災担当大臣表彰を受ける。現在は、山林を管理する業務を自営で行いながら、被災地での支援活動を続けている。