日本赤十字社国際部長に聞いてみました
日本赤十字社(以下、日赤)の本社には、事業局の中に国際部という部署があり、国際救援や開発協力、国際人道法の普及などの様々な国際活動を、全国の赤十字病院や支部と連携して、展開しています。今回は日赤の国際活動を率いる田中康夫 国際部長に、人道分野における国際情勢の変動や日赤の国際活動の変化、そしてこれからの課題をどう捉えているかをインタビューしました。
(写真)田中国際部長オフィスにて
海外での経験を通して感じた「運動体」としての赤十字
『赤十字との初めての出会いは、学生時代のバックパッカー旅行中にアメリカ赤十字のボランティアに出会い、カンボジア難民のトレーニングセンターに連れて行ってもらったことです。そして、国際アビリンピック(障がい者の技能競技)で日赤語学奉仕団のボランティアとなったことで、日赤との最初のつながりができました。以降、入社時から現在まで様々な経験をさせてもらいました。日本国内のベトナム難民支援や国際赤十字・赤新月社連盟(連盟)本部での北朝鮮やアフガニスタンの支援事業のマネジメント、スマトラ島沖地震・津波の際の国際部開発協力課長としての業務、二期8年間にわたり連盟会長を務めた近衞前社長(現:名誉社長)の特別補佐官の業務など、どれ一つをとっても赤十字が果たす役割の重要性と国際赤十字・赤新月運動の連帯感の強さを感じました。そして、それらの経験を振り返ると、様々な人道支援ニーズに適時的確に応えなくてはならないプレッシャーや支援国政府への説明責任など、チャレンジングな日々でした。』
(写真 左上下)エチオピアにて活動中(1986年) (写真 右)アフガニスタン出張時(1997年)
『赤十字は世界192の国にあります。私たち赤十字の職員・ボランティアは「赤十字・赤新月運動」の一翼として活動していますが、その赤十字エンブレム(標章)の持つパワーは、その運動をよく体現しているといつも実感します。例えば、かつてのタリバン政権下のアフガニスタンでアクセス困難な地域においても、赤十字の旗を掲げることで必要な地域に支援を届けることができ、また紛争下のシリアを訪問した際も、かなり緊張はしましたが、赤十字標章のおかげで活動をすることができました。それと同時に、標章の意味が広く知られ、正しく理解されていることがいかに重要なことかを身をもって感じたこともありました。アフガニスタンに出張中(1997年)、私が滞在していた赤十字職員の宿舎にタリバンの兵士が銃を持って入ってきたことがありました。赤十字は紛争下などいかに過酷な環境下での任務であっても、自ら武器を携行したり、武装した警備員に頼ったり、同様に武器を携行した者を敷地に入れることは原則としてありません。正規の軍隊の構成員は、ジュネーブ条約などいわゆる国際人道法の教育を受けて赤十字の標章の意味を理解していることが多いのですが、そういう状況が全てとは限りません。最も必要とする人に人道支援を届けるためには、その重要な支援を可能にするため、赤十字標章の意味や意義を伝えていくことも赤十字の大切な仕事の一つだと実感したのがこの時です。』
(写真 左)アフガニスタンを連盟の車両に乗って移動する様子 (写真 右)連盟アフガニスタン代表部の様子
『世界には多くの赤十字ボランティアが、人道援助の現場で重要な役割を果たしています。バングラデシュの避難民キャンプで、赤十字ボランティアとしてトイレの清掃や衛生管理をしていたのは、ミャンマーから逃れてきた避難民の若者たち自身でした。赤十字のボランティアはそれぞれの地域社会で、皆に頼られる存在です。その様な活動ができるのも地域に根ざした「赤十字・赤新月運動」ならではの特徴です。また、海外では、先進国や発展途上国に関わらず、赤十字ボランティアがただ個々人で活動するだけでなく、ボランティア全体の活動を自ら統治して管理していく役割も担っていることがあります。そのようなボランティアは、よりボイスパワー(発言権、発言力)が強く、より深い部分で人道支援をしていると感じます。特に人道危機に直面している地域社会のボランティアには、人命救助第一という使命感の中で目の前の人の命を救うために自分がこの瞬間に何をしないといけないか判断をし、行動する力強さがあります。赤十字ボランティアとしてやるべきことをやる姿は学ぶべきことが多いと感じます。』
(写真 左)連盟総会で近衞会長の議事進行を補佐 (写真 右)国際会議に向けての綿密な打ち合わせ
経験の中で見てきた変化・違い
『世界の様々な問題の中で、難民や国内避難民の発生など人的災害をめぐる問題は、その発生の仕方、ニーズ、取り組む難しさなどが概ね一様である一方で、かつて「水害」や「干ばつ」などの個別の災害とみなされていたものが「気候変動(のもたらす影響)」によるものとして、より包括的な視点や対策が求められるようになっています。また、気候変動の問題と並んで、社会の裏側にある「格差」の問題が、人道支援の深層を変化させています。そうした変化に合わせて、赤十字の人道支援の方法も進化しています。』
『その様な変化の中で、広がる格差を埋めるべく世界の赤十字・赤新月社はより結束を強めています。同じ使命を持った国際赤十字の面々(赤十字国際委員会、国際赤十字・赤新月社連盟、各国赤十字・赤新月社)が今何を最優先課題として考えているのか、その変化や進化などを日本の赤十字の国内部門に適切に伝えていくこと、また一方では、別の国や地域に役立てるため、国内の活動の知見や経験を国際赤十字に還元していくことも国際部の重要な仕事だと思っています。』
(写真)近衞前社長(連盟前会長)とのエクアドル訪問の様子
国際社会の中で日赤が果たすべき役割や課題
『今までと変わらず、これからもその時代に求められる人道ニーズに適時的確に応じていくことです。そのために私たちは、常に社会の問題に対する感度を研ぎ澄まし、国内外の動きに即した赤十字人としての知識や考察を深め、その道のプロフェッショナルになる必要があります。世界で起きていることに気づき、自分なりの切り口で世の中の様々な問題に対する考え方を述べられる力が必要です。受益者の意見を最大限に取り入れて様々なニーズに応えるためにも、組織内でもあらゆる角度から意見を出していくことが求められます。そして、他の赤十字社と関わる際は、自分の立ち位置から導きだされる考え方をもち、人道問題にかかる使命と理想を持った職員・ボランティアが集まる日赤にしていきたいです。そうすれば、国際赤十字の一員としての協働につながっていき、その中で日赤らしい貢献につながっていくと思います。』
日本赤十字社事業局国際部長 田中 康夫:
(経歴)
1982年日本赤十字社に入社、社会部(現:救護福祉部)ベトナム難民対策室と国際部を経て、国際赤十字・赤新月社連盟(連盟/ジュネーブ)において、北朝鮮、アフガニスタン等の事業調整官(1994~1998年)。その後、日本赤十字社で開発協力課長。2010年より2017年までジュネーブに再赴任し、連盟会長特別補佐官。エチオピア、ロシア、カンボジア、イラン・イラク国境、インドネシア等の現場でも勤務。2018年4月より現職。保健学博士。日本赤十字北海道看護大学および上智大学大学院非常勤講師。