レバノン:パレスチナ難民キャンプ病院への医療技術支援
2018年4月から、パレスチナ赤新月社からの要請に基づき、臨床現場の医師、看護師をカウンターパートとして、3年間で5病院での医療技術の向上を目指す技術協力を開始しました。今週、第一陣としてレバノンの難民キャンプにあるハイファ病院で活動された加藤陽一医師(熊本赤十字病院)が帰国、その活動報告をお伝えします。
ベイルート南部にあるパレスチナ難民キャンプ、ブルジュ・アル・バラジュネ
加藤医師が3か月間技術協力活動を行ってきたのはレバノンの首都、ベイルートにあるパレスチ難民キャンプ内、ハイファ病院です。赴任した時、病院の大きな鍵のモニュメントが加藤先生を出迎えました。
1948年の第一次中東戦争の折にパレスチナの地から「一時的」に避難してきた人々の「家に帰る」という悲願を象徴しています。
あれから70年、ブルジュ・アル・バラジュネキャンプでは、かつてテント村があった場所にコンクリートの家が雑多に立ち並び、道路に剥き出しの電線で子供が感電したり、陽が当たらない路地にはカビが生えているという状況で人々は暮らしています。住民の2/3は一日2ドル以下の貧困状態で生活しています。レバノンでは1948年の中東戦争時、約10万人のパレスチナ難民を受け入れましたが、現在はその数は45万人に増加しています。シリア内戦の影響で、かつて、シリアに逃れたパレスチナ人が二重難民となっているケースも少なくありません。そして、キャンプに暮らす難民たちは国籍、市民権もなく、就労は制限され、不動産などの財産も持つことができません。
病院をキャンプの人たちのために、より良い病院をめざして・・・
ハイファ病院での日赤の医療技術協力のプロジェクトが開始されたのは今年4月。加藤医師は赴任後、まず同じ立場で働く「仲間」としてハイファ病院の医師やスタッフに受け入れてもらうため、救急外来(ER)で一救急医として共に働きました。1カ月以上が過ぎ、信頼関係が次第に築かれたころ、診療部長と協議して、取り組み①救急外来(ER)のトリアージシステムの導入、②ER診療録の作成と導入、③ERに標準化された外相診療を導入、④プロトコールの改訂と現場での標準的ケア診療の実践、⑤多数傷病者受け入れ計画の改訂の5つに絞りました。また、ハイファ病院のプロジェクトメンバーとして、医師5名、看護師5名が選ばれました。
5月、本格的なプロジェクトが始動しました。最初はスタッフ不足や施設設備の老朽化などの問題点ばかりを並べていた現地プロジェクトメンバーたちも、日赤の3人(加藤医師と看護師2名)の熱意と人柄、信頼できる高い知識と技術を認め、前向きに意見交換するする姿が見られるようになりました。加藤医師はその姿に、様々な事があったこの3カ月間の意義を見出し、「いつか、また訪れて彼らのつくりあげたものを見てみたい」と振り返ります。このプロジェクトがめざすのは「日赤が去った後も、ハイファ病院自らの力で問題や新たなことに取り組む力」を持ってもらうこと。まだ、プロジェクトは始まったばかりです。
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