ネパール:村を変える、一人ひとりの防災事業

2015年4月に発生した「ネパール大地震」から9年が経過しました。日本赤十字社(以下、日赤)は、ネパール赤十字社(以下、ネパール赤)とともに、医療チームによる緊急救援から、住宅再建などの様々な復興支援を実施し、さらに、2021年よりネパール西部の3つの郡において「コミュニティ防災強化事業」への支援を続けてきました。

災害に負けない地域づくりを目指す取り組みは、新型コロナウイルス感染症の拡大による一部活動の休止や見直しもありましたが、この度、全ての活動が終了し、日赤の現地代表部も閉鎖することとなりました。本号では、防災事業がコミュニティにもたらした変化を、村の人たちのエピソードを交えてご紹介します。

画像 村の自主防災組織が中心となって、災害時の避難所となる中学校に水道を設置しました。©日本赤十字社

自主防災組織を通じた村の意識改革

事業は、地震や洪水、土砂災害等が多発する東ナワルパラシ郡、ピュータン郡、東ルクム郡で実施されました。いずれも、首都カトマンズから離れたへき地であり、公共インフラが十分に整わない村が数多くあります。

防災力強化を目指して、まずは現地の自治体とネパール赤が協定を締結し、官民一体となって災害に備える計画づくりに着手しました。そして、特に支援を要する7つのコミュニティを選んで、地域住民の手による「自主防災組織」14団を結成しました。これは、日本の消防団によく似た集まりで、10人ほどの村民から成り立ちます。災害時には、直ちに被災者の救護や避難誘導などの初動対応を担います。ネパール赤は、救急法や消火訓練などの技術講習を開き、自主防災組織の強化を後押ししました。

一方で平時には、自主防災組織が中心となって、村の危険箇所や防災に役立つ資源などを調査して防災マップを作成し、村民たちに防災・減災の知識を普及しました。普及活動は238回開催され、あわせて5,232人が参加しました。地域の小中学校では、子供たちに向けた防災教育を実施しました。

こうした地道な活動を続けた結果、「村の防災情報を知っている」という家庭が事業実施前の48%から82%に増加し、また「家族で避難計画を話し合い、災害時にはそれに沿って行動する」と答えた家庭が40%から99%に上昇するなど、住民たちが災害への備えを自分のことととらえて、積極的に行動するようになりました(ピュータン郡の調査データ)。

さらに、学校の給水設備の改良や村の排水溝の整備も行いました。赤十字からの支援に加えて、地元の自治体や住民自身も資金を出し合い、皆が協力して成し遂げました。およそ33,000人が事業の恩恵を受けましたが、その一人ひとりが活動の担い手であり、防災をリードする主役です。ここでは、そのような現地の人々の姿をご紹介します。

【ケース1】プジャさんの防災バッグ

プジャ・タパさんは、ピュータン郡の村の自主防災組織のメンバーです。彼女は、ネパール赤が行う防災イベントに積極的に出席してきました。そこで、彼女が用意したのが防災バッグです。「私は、いつもこの防災バッグを家の玄関に置いています。地震が起きたとき、バッグだけを携えて直ちに避難することができるからです。」

画像 防災バッグを皆に広めるプジャさん ©ネパール赤十字社

事実、2023年11月にネパール西部を襲った地震の際、彼女はためらうことなく、バッグを手に避難しました。

同じ村のビニさんも、プジャさんの勧めを受けて、防災バッグを用意しました。中には、衣類や非常食、衛生用品や重要な書類が入っています。「私の家族はみな、バッグの場所と中身を知っています。」

この村では、防災活動の多くを女性が担っています。防災バッグの大切さも、女性から女性に口コミで広まり、今や多くの家庭において、なくてはならない必需品となりました。防災バッグは、人々の災害に備え、家族を守る意識を高めています。

【ケース2】ソムランさん一家を襲った火災

その日、ピュータン郡に住むソムラン・スナールさんは、いつものように畑を耕していました。妻と2人の娘は外出し、家では幼い息子が一人で留守番をしていました。ふと気がつくと、自宅から火の手があがっているのが見えました。ソムランさんは無我夢中で駆け付け、泣き叫ぶ息子を炎からたすけ出しました。同時に、村の自主防災組織のボランティアたちが現場に駆け付け、赤十字の訓練による学びを生かして近くの給水管から水を引き、消火活動を始めました。

残念なことに、彼の自宅は跡形もなく全焼してしまいました。家財も全て失いました。

画像 焼失した自宅跡を見つめるソムランさん©ネパール赤十字社

そこで、自主防災組織は、ソムランさんのために当面の食糧などを持ち寄りました。さらに、一家のために、農村部の一カ月分の収入に値する20,000ルピーの義援金を集めました。「火の回りがあまりにも早く、自宅を焼失したことは悲しいです。しかし、近所の皆さんからの支援には本当に感謝しています。」

自主防災組織は、行政にも協力を働きかけて、引き続きソムランさん一家の生活再建を資金面などでサポートしています。火災保険などの制度が整わない農村部では、地域のたすけあいの仕組みづくりが、困難に立ち向かうための命綱となるのです。

【ケース3】リワティーさんの切なる願い

リワティーさんは、ナワルパラシ郡の村の自主防災組織のメンバーです。

画像 畑仕事を終えたリワティーさん ©ネパール赤十字社

彼女は、ネパール赤の心肺蘇生法などの講習を受講し、村民への救急法の普及に熱心に取り組んでいます。それにはある理由がありました。

「私の息子は、川で溺れて命を落としたのです。その後、救急法の講習を受けた時には『あぁ、これをもっと早くに受けていれば、息子をたすけることができたのに』と後悔の念を感じざるを得ませんでした。でも、最近、家族の死に立ち会ってショックで倒れた村の女性を、救急法のスキルを用いてたすけることができたのです。」

彼女は、村の中に潜む小さなリスクも見逃しません。そして安全を向上させるための取り組みを行います。村のために献身的に尽くす彼女の姿勢は、人々の尊敬を集めています。つらい経験を胸に秘めながら、村民たちの生活と安全を守り、地域の発展を願う彼女の挑戦は、今日も続きます。

【ケース4】ダンバールさんと白い排水溝

ネパール赤災害管理部のダンバールさんは、ピュータン郡のガバイ村を訪問し、新たに設置された排水溝を確認しました。この村は標高1,800メートルほどの高地にあり、目もくらむような急斜面に家や畑が張り付いています。大雨が降ると毎年のように、背後の山から鉄砲水に襲われ、家や畑が被災して来ました。そこで、自主防災組織が話し合いを重ね、雨水を村の外側に誘導する排水溝を整備しました。

画像 排水溝を確認するダンバールさん(左)©日本赤十字社

ダンバールさんは「皆の力で工事を進めました。これまで住民たちは、雨が降ると何度も外を確認し、夜は一睡もできませんでした。この真っ白い排水溝が完成して、安心と安全を手に入れることができました。日本の皆様に感謝しています」と笑顔で語ってくれました。

この度、ネパールでの約9年間に及ぶ日赤の支援の記録を取りまとめた報告書が完成しました。皆様からお寄せいただいた寄付金の使途と活動実績、現地からの声、さらには外部機関による事業評価の概要などを掲載しています。詳細はぜひこちらからご覧ください。

「2015年ネパール地震 救援復興事業報告書」

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改めまして、皆様からの温かいご支援に感謝申し上げます。

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