【世界津波の日】インドネシア:命をまもる取り組み

皆さんは、「世界津波の日」をご存じでしょうか。

安政元年(1854年)11月5日に和歌山県を襲った安政南海地震による津波被害にちなんで、2015年の第70回国際連合総会本会議において11月5日が「世界津波の日」と採択されました。この決議は、第3回国連防災世界会議および持続可能な開発のための2030アジェンダのフォローアップとして、日本をはじめ142カ国によって共同で提案されたものです。これは津波の脅威について関心を高め、その対策が進むことを目的としています。
日本赤十字社(以下、日赤)では、長年インドネシア赤十字社(以下、インドネシア赤)による防災の取り組みを支援してきました。同国もまた、津波のリスクにさらされている島国です。今号では、9月よりインドネシアに派遣され、現地で防災事業に取り組んでいる大分赤十字病院の鷹野薫看護師より、活動の一部をご紹介します。

インドネシア防災強化事業

インドネシア赤は日赤の支援のもと、2020年から2023年、ジャワ島のケブメン県とマラン県の対象地域の防災力を高めることを目指し、コミュニティ防災と学校防災を活動の柱とし事業を実施しました。事業を開始した2020年は新型コロナウイルスが世界中にまん延し、現地での活動が制限されました。防災に対する地域住民の理解が得られず、計画していた活動が実施できない等さまざまな困難にぶつかりましたが、2023年に無事、事業を終了することができました(詳細はこちら)。

当時を振り返り、現地スタッフは「地域住民の皆さんの防災知識はゼロどころではなくマイナスからのスタートだった」と話します。

「稲むらの火」と学校防災

安政南海地震の発災当時、和歌山県広川町では津波から人びとを避難させるため、警報とするため貴重な稲むらに火をつけ、高台に導きました。多くの人びとの命が救われた「稲むらの火」の逸話です。
日本は昔から津波の被害が繰り返しあり、「津波が来る前に高台に逃げろ」という教訓があります。インドネシアの同僚は以前日本の教科書を目にし、防災に関するページを通じてその教訓が語り継がれていることに感銘を受けました。またそれだけでなく、子どもたちにもわかるよう、とても平易な表現で説明されていたことが印象に残っていると言います。彼はどんな人にもわかりやすい、防災の知恵を盛り込んだ教材をインドネシアの防災教育にも取り入れたいと考えました。同事業では日本とインドネシアの学校の先生を巻き込み、内容の協議を重ね、学校防災の教員用および生徒用のハンドブックを作成しました。
学校防災の取り組みとしては、子どもたちが防災教育を受け、自分たちにできることを話し合ったり、避難訓練に参加することなどが含まれます。完成した教材を活用しながら先生が防災授業を実施し、子どもたちは学んだ知識を家に持ち帰って家族に説明するなど、子どもたち自身も防災意識を広める大きな役割を果たしています。こうした取り組みにより、多くの子どもたちや地域住民に防災について知ってもらうことができました。

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教員用ハンドブック(左)と生徒用ハンドブック(右) 🄫 インドネシア赤

画像 生徒用ハンドブックを家族に説明する生徒 © インドネシア赤

コミュニティ防災と津波

防災ボランティアが中心となり、村落での防災知識の普及をはじめさまざまな活動に取り組みました。発災時の対応はもちろん、津波に備えて危険や避難を知らせる標識の設置、避難経路の確認、避難訓練、地域の特色にあわせた災害救援物資(※1)の整備、非常用持ち出し袋の啓発等です。
※1 海に近い地域では浸水被害を想定したボート、山間部では急こう配に鑑み傷病者や足腰の悪い方の搬送のためのストレッチャー等。

特に、防災ボランティアは、マングローブの植林に力を入れています。スマトラ島沖地震での大津波の被害後調査によると、マングローブを伐採した地域に被害が多く、マングローブを植えていた地域は被害が少なかったとの報告があります。津波がいつまた来るかわからないという未来を見据え、被害を少しでも防ぐために、防災ボランティアは胸まで水につかりながら一本一本、水辺での植林活動を行っています。

画像 マングローブ植林をする防災ボランティア © インドネシア赤

全国インドネシア赤防災ボランティア集会で

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全国ボランティア集会での研修風景 🄫 日本赤十字社

2024年9月末、インドネシアの全国各地で活躍する防災ボランティアが本事業の事業地であるケブメン県に集結し、5年に1度の大規模な合同訓練がインドネシア赤主催で開催されました。
防災ボランティアの1人、スラウェシ島出身のファズルル・アミンさん(33歳)はとても情熱的に自身の経験を語ってくれました。

「2018年9月28日、スラウェシも地震と津波の被害にあいました。私は救援活動のためボランティアとしてジョノオゲ村に派遣され、現場で日赤の支援を目にしました。とても感謝しています。」 続けて、「僕は当時、まだインドネシア赤に入って間もない、若いボランティアの1人にすぎず、赤十字の活動についても知らないことばかりでした」と語ります。
右も左もわからないながらも、野外病院の立ち上げや、保健衛生活動に全力を注いだアミンさん。津波によって破壊された現地のコミュニティヘルスセンター(※2)の再建工事に参加し、震災から2年後の2020年、日赤のサポートにより再建を果たしました。今では経験豊富なボランティアとなったアミンさんは「あの時は日本に助けていただき、本当に感謝しています。ありがとうございました。Thank you Japan!」と、何度も何度もうれしそうに語っていました。
※2 インドネシアで「プスケスマス」と呼ばれる、県や市が運営する保健所

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アミンさんから話を聞く日赤の現地スタッフ 🄫 日本赤十字社

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震災後の復興の説明を聞く鷹野看護師 🄫 日本赤十字社

2004年にインドネシアを襲ったスマトラ島沖地震からちょうど20年。本集会に参加していた大学生から「インドネシアの過去の大津波の被害は、日本にはどのような影響を与えましたか」と尋ねられました。世界中の人びとが大地震の後は必ず大津波がやってくることを学び、「高台に逃げる」という教訓を再度得たであろうと話しました。

このようにインドネシアの人びとは、過去の災害で日本から支援を受けたことを覚え、今でも語り継いでいます。その一方で、2011年の東日本大震災の際は、インドネシアの人びとから日本に多くの支援が届けられたことも忘れてはなりません。私たちは、互いに悲しい経験をし、そして助け合ってきました。その経験を大切にして、これから先も津波から命を守っていく活動を協力して続けていきます。

おわりに

皆さまからお寄せいただいたご支援が、日赤とインドネシア赤の活動を通して、確実に現地の人たちに届き、尊い命をつないでいたことを現地で実感しています。両国の赤十字社がともに行ってきたこの防災強化事業も、地元の皆さんに引き継がれ、1人ひとりの行動変容につながっていくことを願ってやみません。お互いを思いやり、知識や技術を分かち合い、尊い命を守っていく取り組みに引き続き尽力していきたいと思います。

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