13/11/01
福島県飯舘村は、原発事故の影響で現在も多くの住民が福島市内や川俣町などで避難生活を送っています。慣れ親しんだ学校へ通うことができなくなった子どもたちは、集団での転校を余儀なくされました。隣接する川俣町の中学校での間借り授業を震災後1年間にわたり続けた同村内の草野小学校、飯樋(いいとい)小学校、臼石(うすいし)小学校の3校は、同年4月から同町内に建設された仮設校舎に合同移転。現在も、仮設での授業を続けています。
(写真:仮設体育館は日赤の支援で建設されたもの。雨の日の体育授業だけでなく、地域のイベントなどにも活用されています)
震災に負けない教育を
「3校合同の新校舎になってからは、子どもたちも伸び伸びとしてきました」と語るのは、飯樋小の加藤裕紀教頭です。「中学校に間借りしていたときは、スペースが限られていましたから、運動不足も心配でしたが、ここに来てからは子どもたちも思い切り体を動かしています」
児童の約3割は川俣町内から、7割は福島市内の仮設住宅などから通っています。通学にはスクールバスで1時間以上かかる子もいるなど、不便は少なくありません。それでも加藤教頭は「プラス面に目を向けることも大切」と指摘。「3つの学校が合同になったことで、生徒206人に対し教員は40人と定数の倍。他校に負けない充実した指導をしていこうと教員たち一丸となっています」と前を向きます。
一部が帰宅困難区域となり、ほとんどが居住制限・避難指示解除準備区域となっている飯舘村(2013年8月時点)の帰村は最短でも2015年。少なくともあと1年半は、仮設での合同授業が続けられる見通しです。
(写真:「皆さまからの支援を最大限に活かしながら、震災で経験したことを次の世代に伝え、飯舘の歴史を途絶えさせることのないよう頑張っていきたい」と語る加藤教頭)
「終わらない復興への道 あれから2年半」はシリーズでお伝えしています
<<終わらない復興への道 あれから2年半―宮城県を訪ねて(その1)
<<終わらない復興への道 あれから2年半―岩手県を訪ねて(その2)
<<終わらない復興への道 あれから2年半―福島県を訪ねて(その3)