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東日本大震災活動レポート

生活再建

終わらない復興への道 あれから2年半―宮城県を訪ねて(その1)

13/11/01

「美味しい!」「焼きたてのサンマは最高!」。宮城県女川町で9月22日、「おながわ秋刀魚収穫祭」が開かれ、県内外からの3万人近い来場者で会場はいっぱいになりました。無料で振る舞われたサンマの塩焼きは5000匹。15メートルにもなる焼台の上に並べられたサンマが焼き上がるごとに笑顔が広がります。スタッフの一人は「煙で目が開かないよ」と立ちのぼる煙に苦戦しながらも、観光客が戻りつつあることに手応えを感じている様子です。
 こうした目に見える復興の一方、沿岸部の中には復興の槌音が響かない地域があるのも現実。復興支援は一体どこで行われ、どこで足りないのか―震災から2年半が経過した岩手・宮城、福島3県の今をお伝えします。

(写真:一昨年と昨年は3000匹のサンマの塩焼きが用意されたが、今年は予想を上回る来場者数から、急きょ5000匹に増加。それもお昼過ぎにはなくなるほどの大盛況に)

おとなしくなった町の雰囲気
 秋刀魚収穫祭の会場で女川町役場の木村直人さん、阿部直子さんと再会しました。おふたりには2年前の秋、仮設住宅に暮らす被災者の生活支援についてお話を伺っています。そのとき木村さんたちが強調していたのは「コミュニティーづくり」についてでした。
 「復興は計画どおりに進んでいます。でも、仮設住宅に暮らしている皆さんへの精神的なケアや家族構成の変化など、(年月が経つことによる)新たな問題への対応も追いついていません」と木村さんは指摘します。「子どもたちはスクールバスで通学しているので、地域に子どもたちの姿や声がなく、町の雰囲気が以前のように生き生きとはしていないのです」と阿部さんも語ります。生活エリアが高台地域に移り、公共交通機関を含めた生活環境整備が求められているものの、復興交付金は被災地域の整備が優先対象のため、現在多くの人が住んでいる高台地域の環境整備には充てられないジレンマが起きているのだ、と訴えます。
 女川町は、秋刀魚収穫祭以外にも昔からお祭りが多い一帯だったとのこと。「(震災で中止になった)みなと祭りの花火がまた上がるのを見て勇気づけられたのは、多分私たちだけじゃなかったと思います」
 子どもたちの駆け回る姿や祭りの活気。復興は時間のかかるものだからこそ、そこにいる人たちの時間的な変化にも着目していかなければならないのです。

(写真:震災前と今とでは町の雰囲気も異なると話す木村さん(左)と阿部さん(右))

50年後を見据えた街づくりを
 約16万人だった石巻市の人口は、震災による死者・行方不明者が4000人にものぼった結果、震災後半年後には15万4000人弱に。その後も減りつづけ、現在は15万1000人余りとなっています(平成25年10月時点)。
 震災前、市内でジャズライブハウス兼バーを経営していた和田忠秀さんは「震災前と同じ街をつくろうと思ってもできないし、それをしたとしても人は戻ってくのかな」と復興の難しさを指摘します。
 和田さん自身は、避難所で自慢の料理を振る舞ったり、一流ミュージシャンによるライブを提供するなど、周囲の被災者を励まし続いてきました。海に近い自身のお店は、新たに造られる堤防の予定地となっていて、立ち退きが迫られていますが、「宿泊施設にもなるようなクルーザーを将来はこの川辺に浮かべたい」と夢を語ります。
 「簡単に人は戻ってこれないのだから、なおさら目先にとらわれた復興ではなく、50年後などこれからを見据えた街づくりを考えていく必要がありますよ」と長期的な視野の必要性を語りました。

(写真:街の再建には長期的展望が必要だと和田さんは指摘する)

「終わらない復興への道 あれから2年半」はシリーズでお伝えしています
<<終わらない復興への道 あれから2年半―岩手県を訪ねて(その2)

<<終わらない復興への道 あれから2年半―福島県を訪ねて(その3)

<<終わらない復興への道 あれから2年半―福島県を訪ねて(その4)