14/03/12
福島県の沿岸部の相馬郡新地町は、東日本大震災で津波の被害にあいました。日本赤十字社は、「被災高齢者共同住宅」の建築を支援し、昨年11月に完成。現在、20世帯の高齢者世帯が暮らしています。そのうちのひとりである竹沢さつ子さん(73)を訪ねました。
(写真:共同住宅には現在20世帯が入居。平均年齢80歳の方が暮らしています)
海外の方の支援に感謝しています
東日本大震災では500世帯の住宅が全壊し、死者115人の被害を出した新地町。一時は1500人が避難所生活を送りました。被災高齢者共同住宅は、“町が今一番必要としているもの”と町の職員の発案から計画され、被災した高齢者が将来にわたって安心して暮らせる場を提供しています。日赤は、海外の赤十字から寄せられた海外救援金をもとに建設費の一部として3億円を支援しました。
竹沢さんは「この共同住宅がなければ、仮設住宅を出た後に行く所がありませんでした。今回支援をしてくださった海外の方々に本当に感謝しています。おかげさまでいい家に住むことができています」と感謝を表します。
竹沢さんの自宅は海に近い大戸浜地区にありましたが、津波で流されすべてを失いました。隣の家のご夫婦と一緒に避難し、途中の丘で「ここまでくれば大丈夫」と隣のご夫婦はそこにとどまりましたが、竹沢さんはさらに奥の小学校まで逃げました。津波はその丘にまで達し、ご夫婦はお亡くなりになったといいます。「あれから大戸浜には戻っていません。あの場所にはもう戻りたくありません」と声を震わせます。
(写真:津波による浸水は町の面積の5分の1、約9平方キロメートルに及んだ。田んぼや畑など農地も大きな被害を受けました)
最近はアルバイトにも出かけています
「仮設住宅に住んでいた頃は、壁が薄い四畳半一間。だから、朝、亡くなった夫への“おはよう”代わりに仏壇の鈴(りん)を鳴らしてお祈りをするんですけど、隣の方から『毎朝ずいぶん早起きなんですね』と言われたりして。生活する上で、いろんな所で気を遣っていました」と振り返ります。
こうした仮設住宅での生活で一時は血圧が180を超えてしまい、薬を飲んでも下がらなくなったしまった竹沢さんですが、現在の共同住宅に移ってからは、正常値に戻りつつあるといいます。「今は騒音や隣の人の声も聞こえず、日当たりも良くて快適です。毎日、朝6時半と午後1時頃に散歩に出かけ、頼まれれば近所の農家へアルバイトにも出かけています。この間はブロッコリーの箱詰めの手伝いをしました」と笑顔を見せてくれました。
(写真:仮設住宅入居の際に日赤が寄贈した家電セットは今も重宝しているそうです)
3年目の「3.11」はシリーズでお伝えしています
>>3年目の「3.11」 岩手を訪ねて①
>>3年目の「3.11」 宮城を訪ねて②
>>3年目の「3.11」 福島を訪ねて③