シリーズ「気候変動の影響と人道」
第5回気候変動と戦争 ~「人道:人間のいのちと尊厳」を脅かす二つのリスク~
世界経済フォーラムが発行する『グローバルリスク報告書』(2019年度版)は、世界が直面する二大リスクとして「(核兵器を含む)大量破壊兵器」「気候変動の緩和や適応への失敗」を挙げました。本赤十字国際ニュースでもこれまで、気候変動については4回(第1回、第2回、第3回、第4回)、核兵器についても数多く(2019年8月7日号、2019年7月17日号、2018年8月9日号、2018年7月6日号)取り上げてきました。赤十字が直面する人道的課題とその対応の最前線を取り上げる本ニュースが、いかにこの二つのテーマに深い関心を寄せてきたかがお分かりいただけるかと思います。
この二つのテーマは、互いがどう作用して人間のいのちと尊厳を脅かすのでしょうか?
もし核戦争が生じたら ~核兵器が気候変動に与える影響~
ある研究によれば「広島で投下された原子爆弾が仮に100発程度投下された場合の影響」として、次のような事実が指摘されています。
- 500万トン以上のばい煙が上空に留まり、太陽光を遮る。結果、地球上の平均気温が平均1.3度低下する。
- 気温低下に伴い、海水の蒸発が少なくなり、降雨・降雪量が減少する。
- 成層圏におけるオゾンの大幅な減少は地表に届く有害な紫外線の増加をもたらす。
- 農作物の生育期が短縮し農業に甚大な影響をもたらす。例えば、アメリカ中西部における大豆やとうもろこし、中国におけるコメなどの生産量が年10~20%減少する。世界時で10億人以上が飢餓に直面する。
仮に現在、米露が保有する核兵器全てが使用された場合、15億トン近くのばい煙が大気圏のさらに上層まで達し、地球全土を闇に覆い、数年かけて世界の平均気温が8℃下がり、北米大陸、ユーラシア大陸の内陸部では20~30℃の気温低下を引き起こす、そして生態系は破壊され人類の多くが飢餓に苦しむことになる、と言われています。(ICRC, Information Note. No.2, 核戦争が気候変動と世界の食糧生産にもたらす影響, 2011)
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が作成した『1.5℃特別報告書』(2018)では将来の年平均気温上昇量が1.5℃/2℃のそれぞれの影響が評価され、注目されていますが、我々が生きる世界には、同時に「20~30℃の気温低下」をもたらすリスクがあることはあまり知られていません。そしてまたそれが「誤って(例えばテロリズムなど意図しない形で)」使われるリスクも隣り合わせにあることを忘れてはならないでしょう。
もし気候変動の悪化が進んだら~気候変動が(核)戦争に与える影響~
また、ある最新の研究によれば、気候変動の影響の悪化は紛争の発生リスクの上昇と比例する関係にあることが指摘されています。これによると、年平均気温が4℃上昇すれば、武力紛争のリスクは26%高まります。気候変動がもたらす自然災害の増加、激甚化は、被災地の経済に打撃を与え、それが貧困を増し、社会の格差、不平等感を高め、暴力的行為が増加していくと言われています(Katharine J. March, Climate as a risk factor for armed conflict, nature, 12 June 2019)。
紛争の解決には、紛争そのものの早期終結のための政治的努力もちろん必要ですが、真の平和な社会の構築には、その周辺要素である十分な医療、食糧の供給や、職業、教育の機会の保証といった、一人ひとりが尊厳を持つ生活の実現が欠かせません。当たり前のことですが、この研究はそうした「尊厳ある生活」のために安定した自然環境がいかにその基盤であるかを改めて示しているようにも思えます。言い換えれば、この研究は、自然環境の保全を「経済成長といかに両立を図るか」という従来の見方に対して、そもそも経済活動の「土台に」地球環境があること、そして紛争地を始めとするそこで生きる人々の「命に関わる問題」であるとの認識に光をあてるものとも言えるでしょう。
赤十字国際委員会(ICRC)のPeter Maurer総裁は次のように述べています。「気候変動のリスクにさらされる最も脆弱な国のリストをみれば、私たちのリスト、つまり戦争、暴力的事態に直面する我々赤十字が優先して対処すべきリスト上にある国とほぼ一致することに気づくでしょう。」(Aljazeera, Red Cross's Peter Maurer: Geneva Conventions are being violated, 19 Oct 2019)
この発言は、もはや「気候変動#環境問題」が、いかに経済成長との調和を保つために向き合うかといった単純な問題ではなく、「気候変動#人道問題」であり「気候変動#倫理問題」であるとさえ言えることを訴えかけています。
レンズを変える ~「#環境問題」から「#人道問題」へ~
2019年6月4日、赤十字国際委員会(ICRC)が公開した動画『戦争法(※国際人道法)と自然(The laws of war and nature:The Laws of War)』は紛争が環境に与える影響を次のようにコンパクトに紹介しています。
- 8割の紛争が生物多様性のホットスポットで生じている。そのスポットは地表の2%以下を占めるに過ぎない。しかし、それが世界の植物や多くの希少種の半数を支えている。
- コンゴ民主共和国では紛争により95%のカバが住処を追われ、また、密漁により死滅した。
- モザンビークでは15年にわたる内戦で、2000頭いたゾウが200頭まで減少した。
- 国際人道法は自然環境を保護している。なぜなら自然環境は人間のいのちを支えるものであるから。
「戦時においても守られるべきルールがある」赤十字は国際人道法を広めるために様々な普及資材を作成していますが、このビデオは「自然環境の攻撃は法に反します」というメッセージで締めくくられています。人道法の根底にある「戦闘に無関係な市民や医療は無差別に尊重し、保護する」という国際人道法(戦争法)の理念は、生身の人間のみならず、私たちをとりまく「自然環境」にも向けられていること、「人道」のレンズからみれば、「環境問題」も「人道問題」であることを伝えています。これに限らず、これまでの本ニュースでもお伝えしてきたように、赤十字はその活動の様々な場面で気候変動に対する考慮を取り入れています。
様々な最新の研究・知見により、これまで人間が生きるために「所与のもの」と考えてきたことが、「永続するものではない」ことが明らかにされ始めています。核兵器の使用は地球規模で自然環境自体を壊滅させます。気候変動は核兵器使用(紛争発生)のリスクを高めます。いずれも一度生じれば人間のいのちと尊厳に「不可逆的な影響」を与えるものです。
どのような人道的課題であっても私たち赤十字のメッセージは一つ、―目の前に苦しんでいる人を無差別に救う―。これはいつの時代も変わらない理念です。しかし、その約束が成り立たない世界が今訪れようとしています。取り返しがつかなくなる前に、気候変動の問題に「人道的観点から」対処することが求められています。
〇12月1日~25日はNHK海外たすけあいキャンペーン!
令和元年度のテーマは「気候変動による人道危機と赤十字」です。
地球規模の気候変動がもたらす世界各地での災害、紛争、病気といった人道危機は深刻化しています。赤十字はそのリスクに備え、人々の回復力や適応力のさらなる強化に取り組みます。