PROJECT 02

海外フィールドでの人道活動

国際部(※所属部署は取材当時)

五十嵐 玲奈

赤十字国際委員会(ICRC)へ3年間出向し、紛争地域で捕虜の待遇や環境の改善を行う。人道活動の最前線で五十嵐は何を学び、何を感じたのか。

今までの自分を超えるチャンスは
これしかないと思った

海外で働いてみたい。そんな思いを、五十嵐は2010年秋の異動希望調査で人事部に訴えることにした。「もともと国際活動には興味がありましたが、どうしても国際的な仕事を、とまでは考えていませんでした。しかし、赤十字の仕事を色々経験する中で、海外のフィールドで働けるのなら、行ってみたいと思うようになりました」。当時、入社8年目。自身の成長が鈍化していないか、危機感を抱き始めていた時期だった。これはきっと、今より一歩先のステージへ進む好機に違いない。そんな思いから、これまでの実績や、海外での経験を日本赤十字社の発展に繋げたいという考えを、A4用紙にびっしりと書き連ねたという。「こんなに書いたのは、多分私だけだと思います(笑)。でも、所定の様式には書ききれなかったですから。それだけ本気だったんです。今までの自分を超えるチャンスはこれしかないと本気で思っていました」。そんな思いが実り、ICRCへの出向が決まった。2011年3月26日。奇しくも、日本が東日本大震災という未曾有の大災害に見舞われ、日本赤十字社も今までにない規模の救護活動を展開している最中での挑戦となった。五十嵐は後ろ髪を引かれる思いで日本を旅立った。

目の前の人の期待に
応えることができないという苦しさ

初任地であるジンバブエでの主な任務は、刑務所や軍の施設に収容されている収容者の処遇や環境の確認。刑務所や軍の施設を周り、収容者と面談を重ねる毎日が始まった。その日々には、想像を超えた苦しさがあったという。「言語の違いや文化の違いにも戸惑いましたが、一番悩ましかったのは、収容者への向き合い方です。彼らは、私たちにとても期待してくれているのですが、実際に私たちができることはそれほど多くない。要望や訴えの中には、そもそも赤十字の支援範囲ではないものも多いですし、赤十字には『中立・独立』という大原則があるため、収容者に肩入れすることは許されません。あくまで赤十字という中立的な立場から、守られるべきものが守られているのかのチェックに専念する必要がありました」。頭ではわかっていても、何度も顔を合わせていれば、情も移りそうになる。期待に応えられないもどかしさや、感情を割り切らなくてはいけない葛藤に苦しみながらも、ジンバブエでの1年間の任期を終えた。しかし、その苦しさを生んだ「中立・独立」という赤十字の原則が、人道活動に繋がっていることを実感する出来事があった。

人道活動の最前線の経験を、
より多くの人を救う活動のために

翌年命じられたのはウガンダでの勤務。ここでも苦しみは続いたという。「中立性を守るために、政府側とも反政府側とも適切な距離をとり、他団体とも同じように接する。だから周りから、『赤十字は何も情報をくれない』と皮肉を言われることもありました」。そんな中、紛争の最中にはぐれてしまったコンゴ民主共和国にいる子どもの家族を探して欲しいという依頼を受けた。離散家族を探すのも赤十字の重要なミッション。あらゆる方法を駆使して必死に調べた結果、子どもの母親がウガンダ北部にいることが判明。現地の赤十字社と連携し、国境付近で子どもを引き渡すことになった。「子どもの母親を見つけられたのも、世界各国に姉妹社を持つ赤十字のネットワークがあってこそ。引き渡しも、本来は管理局での複雑な手続きが必要なところを赤十字が間に入ることで、特例として国境を越えることができたんです。それだけの信頼があるのは、いつでもどこでも中立・独立を貫いているからこそ。積み重ねが大事なんです」。多様な文化や考え方を受け入れる柔軟性、感情に流されることなく毅然と接する強さ、ミッションを遂行するための覚悟。ICRCでの勤務を通じて多くのことを学んだと語る五十嵐。しかし、本当の挑戦はここからだという。「経験を社に還元するのは出向した者の使命です。濃密な赤十字の最前線で感じたこと、わかったことなど伝えたいことは沢山あります。何をどうやって、何を目的に伝えていくのか、手探り中です。まだまだ、これからなんです」。過去の自分を超え、国境も人種も宗教も超えた五十嵐の経験が日本赤十字社にもたらすものは、より多くの人を救う活動の糧となるに違いない。

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