看護師養成の歴史
救護看護師としての看護師養成の開始
日本赤十字社は、救護看護師を養成するため、明治19(1886)年に「博愛社病院(後の日本赤十字社病院、現日本赤十字社医療センター)」を設立しました。
明治22(1889)年6月14日に「日本赤十字社看護婦養成規則」を制定、同年11月に「第一回看護婦生徒募集並養成手続き草案」が成り、生徒募集を10人と定め、明治23(1890)年から、養成を開始しています。
明治24(1891)年、濃尾大地震(死者約7000人、負傷者約1万7000人)において、第一回生10人全員が救護班に加わり、日本赤十字社が養成する看護師による初めての災害救護活動が行われました。
養成開始当初は戦時救護を養成の目的としましたが、この災害時の看護師の活躍から日本赤十字社における看護師養成の目的に災害時の救護も追加されました。
日本赤十字社は、明治28(1895)年から、看護師養成のための教科書編さんを開始し、明治29(1896)年6月に「看護学教程」を刊行しています。
救護看護師の養成は、博愛社病院での養成開始に引き続き支部においても行なわれ、養成のための支部病院が次々と開設されました。
また、救護班の師長を養成するため、明治40(1907)年から、日本赤十字社病院で「救護看護婦長候補生」の教育も開始しました。
戦時の看護師養成
日本赤十字社は昭和初期、入学資格を高等女学校卒業者として3年間の修業年限により救護看護師を養成していました。
しかし、日華事変の勃発以降、戦火が拡大するとともに救護看護師が次々と戦時救護に派遣され、その補充が急務となったため、養成についても戦時措置が取られました。
これまでの救護看護師の修業年限を半年短縮して2年半とする一方、太平洋戦争に突入した翌年の昭和17(1942)年には、高等小学校卒業者を入学資格として2年間の修業年限による「乙種救護看護婦」の養成も開始しています(乙種に対して従来の救護看護師は「甲種看護婦」と称しました)。
戦時措置であった「乙種救護看護婦」の養成は、昭和20(1945)年終戦とともに、当時の在学生の卒業をもって廃止となりました。
戦後の看護師養成
終戦後、連合軍総司令部(GHQ)の指導により、戦後日本の看護教育制度の改善を図るためのモデル校として、昭和21(1946)年「日本赤十字社中央病院救護員養成部(後に日本赤十字女子専門学校、現在の日本赤十字看護大学の前身)」と「聖路加女子専門学校(聖路加看護大学の前身)」の共同運営による「看護教育模範学院」が開校し、日米講和条約発効の翌年の昭和28(1953)年まで続きました。
昭和22(1954)年「保健婦助産婦看護婦令」と「保健婦助産婦看護婦養成所指定規則」が公布され、全国的に看護師養成はこれに基づいて行われることとなり、各赤十字病院内に設けられていた養成施設も「赤十字看護学院」と改称。
現在のように医療施設に併設した学校の形態を取るようになりました。
近年の看護教育施設の変遷
赤十字看護学院は、昭和26(1951)年「保健師助産師看護師法」「保健師助産師看護師学校養成所指定規則」の公布に伴い「赤十字高等看護学院」(各種学校)と改称し、昭和50(1975)年には、学校教育法の改定により、専修学校専門課程の認可を受けて「赤十字看護専門学校」と改称し、現在に至っています。
また、看護専門学校の大学化も進み、「日本赤十字女子専門学校」が昭和29(1954)年に「日本赤十字女子短期大学(昭和41年日本赤十字中央女子短期大学に改称)」、昭和61(1986)年には「日本赤十字看護大学」に昇格しました。
その他、「武蔵野赤十字高等看護学院」が昭和41(1966)年「日本赤十字武蔵野女子短期大学(平成17年日本赤十字社看護大学と統合)」に、「名古屋赤十字看護専門学校」が平成元(1989)年「日本赤十字愛知女子短期大学(現在の豊田看護大学)」にそれぞれ昇格しています。
さらに、平成8(1996)年「日本赤十字秋田短期大学」を開学(平成21年度に大学化。短期大学は平成23年4月から介護福祉学科のみ)、平成11(1999)年、北海道北見市に「日本赤十字北海道看護大学」が、平成12(2000)年には、広島県廿日市市に「日本赤十字広島看護大学」が、平成13(2001)年には、福岡県宗像市に「日本赤十字九州国際看護大学」が、平成16(2004)年には、愛知県豊田市に「日本赤十字豊田看護大学」が、平成21(2009)年には、秋田県秋田市に「日本赤十字秋田看護大学」が開学しました。また、令和2(2020)年には、埼玉県さいたま市に「日本赤十字看護大学大宮キャンパス」を開設しています。
なお、大学・短期大学は、学校教育法第1条に規定される学校で、教育法制上、設置できるのは国、地方公共団体および私立学校法第3条に規定する「学校法人」のみであることから、日本赤十字社は、昭和29(1954)年、日本赤十字女子短期大学の開設にあたり「学校法人日本赤十字女子短期大学(昭和41年に学校法人日本赤十字学園と改称)」を設立しました。
現在、赤十字の大学は、日本赤十字社の要請により学校法人日本赤十字学園が設置、運営し、赤十字看護師の教育を行っています。
また、高等教育部門として平成5(1993)年、日本赤十字看護大学に大学院看護学研究科を開設して以降、現在6大学全てが大学院を設置し、より質の高い看護師教育を目指しています。
助産師の養成
第1回赤十字社連盟総会(1920年)の決議に基づき、連盟本部は、妊産婦の保護および乳幼児の保育が当面の重要課題であるとして、各国赤十字社に母子保健事業を積極的に行うよう奨励しました。
日本赤十字社は、大正10(1921)年「大阪支部病院産婆養成所」、大正11(1922)年「日本赤十字社産院産婆養成所」で養成を開始し、昭和前期にかけて各支部病院でも産婆養成所を付設して養成を始めています。
昭和22(1947)年に「保健婦助産婦看護婦令」と「保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則」が公布され、産婆の名称は正式に「助産婦」と改正されました。これにより、従来の産婆養成は中止となり、日本赤十字社産院と大阪支部病院の養成所(各種学校)は「日本赤十字社助産師学校」「大阪赤十字助産師学校(平成20年3月閉校)」と改称しています。
戦後に開設した助産師養成施設としては、昭和32(1957)年に開設の「武蔵野赤十字助産婦学校(日本赤十字武蔵野短期大学専攻科の前身)」があります。また、看護師・保健師教育に加え、助産課程を設けて助産師教育を行っている大学や、社会的要請に対応できる専門助産師としての、より高度な基礎的能力、幅広い視野と科学的洞察力を持ち、新たな助産のあり方を開発・構築できる人材の育成を目的とする、大学院での助産師教育を行っています。
幹部看護師の養成
戦後、看護師養成制度の改革や新しい教育制度の制定等に伴い「救護看護婦長候補生」の教育は中止となりましたが、救護業務の指導者、看護教員、看護管理者の教育を行う機関として昭和27(1952)年「日本赤十字社幹部看護婦教育部」を設置、昭和38(1963)年に「日本赤十字社幹部看護婦研修所」と改称しました。
平成15(2003)年4月からは、日本赤十字社における救護業務・看護業務・看護管理の向上に資するため、将来、看護部長など、病院の幹部としての力量を発揮できる看護師等に対して高度の研修を行う研修機関として「日本赤十字社幹部看護師研修センター」を発足させました。
※平成14年3月1日に「保健婦助産婦看護婦法」は「保健師助産師看護師法」に改題されました(平成13年12月12日法律第153号)。それに伴い、当ページにおける各名称の表記も変更しています。